私はなぜ涙を流さないのか?二十歳までのあまりの散々な家庭

 人によっては私という人間がとにかく泣かない、いかな不遇、 不幸に襲われても全く絶望しない、まして涙を流さないことに 疑問を持つ人がいる。私のように生きたら、誰だってワンワン 泣いてもいいはずだが、いたって何食わぬ顔で生きてきた。無 論、容易な道ではない、母親はとにかく私を憎んだ、生まれて すぐから死ぬ少し前まで、とにかく…
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青江舜二郎『龍の星座、ー内藤湖南のアジア的生涯』1966,朝日新聞、忘れられた巨人

 もとは1966年に朝日新聞から出て後、中央公論から出た本で ある。「内藤湖南」、知る人ぞ知る、もう廃れた忘れられた人 物である。歴史学者で東洋史専攻、いつかきいた、というか 、内藤湖南の有名な言葉なのだが「日本の歴史は応仁の乱から 学べばいい、それ以前は外国の歴史のようなものだ」なるほど、 と思ったものだ。古代史など全く…
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宝塚、懐かしの写真館(206) 虹麗子(本科) 「宝塚受験の思い出」 『歌劇』昭和13年3月号

 虹麗子(執筆当時、本科生徒) 試験の朝、前夜来の緊張で 寝不足で、でも頭は秋空のように澄んでいました。母の心 からなる尾頭付きを「あまり食べ過ぎると頭がボンヤリしま すよ」と、母から注意もされ、幾分、控えていただきました。  身体を見直す。いつもながらの我が身ながら手も足も異常 はなく、身体にみなぎる力もこの日のため…
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ボーヴォワール『或る戦後 上下巻』割り切りすぎて味気ないのでは?

 日本語訳が出たのは1965年も12月だったはずだ、本国での 出版はそれより多少前だと思う。あまりラグはないはずだ。 その後だったか、前だったか、事実上の夫婦関係のサルトル と連れ立ってボーヴォワールが来日、その時「実存は第二の 性とやってきた」、そのとき瀬戸内晴美さんが「ボーヴォワ ールは美しかった」、・・・美人タイプで…
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カミラ夫人の黄金の日々、真摯な生活ぶりが評価され、堂々の王妃に

 新英国王にチャールズⅢ、三世が就かれた。母親のエリザ ザス二世が非常な長生きだったことで73歳での国王就任と なった。後継順位一位はダイアナ妃のとの間の長男、ウィリ ムズ皇太子となる。ダイアナ妃との離婚は当然である。好き でない、全くすきになれない女性を妻にし続けることなど、 出来る相談ではない。身分に関係はない。確かに…
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