懐かしの日本の情景(60) 東京山谷の未就学児童を教育する女性教師二人 昭和38年、1963年

 現在は山谷も変わっているだろうが、まだ昭和38年、1963 年、東京五輪の前年、まだまだ山谷は山谷だった。山谷には 当時、大小合わせて250軒のドヤがあって約2万人がそこに ネグラを求めていた。その2割くらいが世帯持ち、その子ど もたちは学校にもいけない。そこで「福祉教諭」はそんな子 供をこの地区で見つけ、地元の学校に通…
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宮内勝典『グリニッジの光を離れて』ニューヨークに漂う透明人間的日本人

   その導入部は爽やか、1968年10月、晩秋のニューヨーク、 マンハッタンの真ん中、ペンシルヴェニアからあるき出す主 人公とともに、点景が一つ一つ積み上げられてゆく。私はジ ェリー藤尾の「遠くへ行きたい」の歌詞と風情を想起した。  ショーウィンドウに映る若者、肉体労働で真っ黒に日焼け してい「蒙古系の黄色い皮膚は、す…
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日本の伝統的な食生活の智慧を活かしたら100歳は生きられる、祖母に学ぶ長寿の秘訣

   地方というか、農村部は本当に長寿の人が多い、90歳以上 は常識であり、100歳以上もそれほど珍しくはない。実例で 108歳まで生きられた方がいた(女性)、大都会はやはりそ れほど長寿の傾向はない。昔は東京が平均余命が一番長かっ た、そんな時代もあったのである。だがそれも過去のことで ある。  田舎の長寿はなぜだろ…
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円地文子『終の棲家』集英社文庫、やはり瀬戸内寂聴さんとならぶ子宮作家だったのか

   ぶっちゃけた話、円地文子さんの作品ってみなさん、どれ だけ読んでいますか?瀬戸内寂聴さんはそりゃ人気者だった 、だからその作品群は人気がある、作品の傾向から「子宮作家 」と称されていた。不倫の傾向があった。青春出版社で瀬戸内 さん『一人でも生きられる』ってあった、読むと毎晩、全裸で 鏡の前に立って恍惚に浸る、というか…
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村田兆治死亡、厳しい言い方だが傲慢で軽率な行動は命取りに、最期が寝煙草の失火では侘しい

   村田兆治氏が死亡した、自宅に放火の自殺でなくタバコの失 火という。一酸化炭素中毒での死。いうまでもなく最近あった、 羽田空港での搭乗前の検査でチェックされ、スマホを提出する ように要求されたのに、「今まで構わなかったのになぜだ」と 強引に突破しようと悶着になり、結果は逮捕され、手錠をかけ られた姿がネットでも流された。…
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