私が何だか笑えなくなった理由、非情は人生を救うのか

   というわけで最近は人生で初めて交友には恵まれている。 それはいい、いいのだが会食、飲み会、忘年会などでみなで 集合記念写真を撮ったら、わたしだけが笑顔がないのである。 確かに笑顔、笑みがない。一人だけ沈んでいるかのようだ、 ・・・・・それは要は私の育った家庭環境、両親に原因があ ると言わざるを得ないのだ。  「人…
コメント:0

続きを読むread more

宝塚、懐かしの写真館(249)桜と月組生徒たち、『歌劇』昭和13年4月、春川ますみ、山部志賀戸、相良昌代、加賀松乃…

 春川ますみ:山咲は若緑に    加賀松乃、相良昌代 :橋畔の柳は芽生え       山部志賀子:夾竹桃の若葉はすくすく伸びている     温室では草花が咲き乱れ       桜だけ花が咲かないのはなぜ?    昇道子:春が来て宝塚郊外のマグノリアの蕾が膨ら…
コメント:0

続きを読むread more

歯科の補綴は必ず何かを犠牲にする、インプラントによる顎骨骨折

    日本など哺乳類は歯がある、その歯は基本一度しか萌え変 わらない、いくら健康に大切にしてもしょせんは再生しない 硬組織である。失われた部分を補う「補綴」ほてつがなされ る。歯がないと物が噛めない、別に必ずしも歯で噛む必要は 絶対的ではないが、表情筋は歯がないとしぼんで老人性顔貌 となる。外面的にも歯は必要である。 …
コメント:0

続きを読むread more

『真城子』1972,あの家永三郎先生が書いた「小説」!一大ロマンだが

 国に幾度も教科書裁判を挑み、戦う歴史学者として永遠 にその名を遺す家永三郎先生だが、実は長編ロマン小説を 刊行したことがある。初版は1972年である。その時点で59 歳、東京教育大学教授、その後、中央大学教授。現在アマ ゾンから出ているものは1996年出版となっている。  1972年初版とはいうが実はもう20年…
コメント:0

続きを読むread more

何歳になろうと心境に変化はない、人間は常に「限界状況」

   本当に人生は労苦は多いが、その人生の時間はいたって 長くはない、と思う。私だって、二十歳ころなんか、もう 昨日みたいなものだ、でも平均余命では残された時間は 「~年」と言われても、その「~年」を今から「~年前」と 考えたらその時は昨日みたいなものだ。例えば10年後、と 云って逆に今から10年前、なんてまさしく昨日である…
コメント:0

続きを読むread more

小説のサバイバル、もはや書き手のほうが読み手より多いかも

   かっては考えられなかったネットの時代になり、小説を読 むことに多大の時間を使うのはどう考えても、無意味以上で 失うものが多い。しょせん与えられた時間は限られているの だから、学び、知る、楽しむべき対象が無尽蔵というほど莫 大な現代、本当に作家たちに多くがおよそ、ろくでもない文 章を有難がって時間を費やすのはもはや時代錯…
コメント:0

続きを読むread more