埴谷雄高『虚空』1961、短編集、小説の枠を踏み外して、とことん現実嫌悪、人間嫌悪

    本名は般若豊、ペンネームは埴谷雄高だが「般若」なので ある。ただならぬ本名はその作品をも暗示する。1961年に刊 行された短編集であるが、全て世の常の「小説」の概念を全 く踏み外している収録の『洞窟』の主人公は、「或る家の二階 に蝸牛のように閉じこもっていた頃」、毎日のように聞こえて いた隣家の少女の早口のおしゃべり…
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JR「みどりの窓口」縮小、超わかりにくい券売機、怒号飛び交うJRの駅

 「みどりの窓口」はJRの方針で大幅に縮小されている。非常 に乗降客数が多い駅では従来を維持なのかどうか、山陽線でも 多くの役が無人駅化、さらに新倉敷駅のように、、ほぼ、こだ ま限定の新幹線駅(朝晩は、ひかりも一部停車)ではその中間 で、「みどりの窓口」の営業時間が縮小され、午前11時半から 午後3時半までは閉鎖、また対応…
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自分探しの旅の過酷さ、幻滅と絶望の果てに

 人生は「自分探しの旅」というのは確かに魅力的な表現で ある。人生は曲がりくねった道の彷徨、災難、不幸が雨あら れ、それを振り払うだけで人生が過ぎてしまう、でも、それ でも結果、過ぎてみたら、人生が全く無意味で自分が窮極の 無為無能で、才能なんか何もなかった、・・・・・、まさに 茫然自失、とならないように、と言いたい気もす…
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佐多稲子『燃ゆる限り』1955、あゝ、ついに燃えず

 この作品は松竹で映画化もされたドラマ性がある?小説で ある。主な登場人物は、「仲田かね子」の家と「宮原重子」 の家の、それぞれの親子、つまりその家の家族である。  かね子の夫の正美は満州で新聞記者をやっていたが、引揚 げくずれのとなり、他に女を作っていて家にはほとんど寄り つかず、三人子供がいる。長男は秀男、長女…
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