正宗白鳥『人生恐怖図』1962,白鳥生前最後の刊行、『白鳥百話』も収録、気分は終活か? 正宗白鳥は1879~1962,その没年に刊行された本であり、 未完となった長編『人生恐怖図』とこれも七話しかないのに 『白鳥百話』未完の評論である。『人生恐怖図』とはまた、 いやなタイトルの作品だ、白鳥らしいが。どんな話かという と 『人生恐怖図』は英文学の教授が、甥の私立大生を連れて 、田舎から東京見物にで… コメント:0 2023年04月05日 続きを読むread more
宝塚、懐かしの写真館(288)『メキシコの花』1937,6月花組公演 大劇場 須藤五郎:案及び作曲、横田邦造・脚色、東郷静男・振付 須藤五郎〈案及び作曲者として〉今度の「メキシコの花」 はレヴュうというより、オペレッタ・ア・グラン・スペクタ クルに近いものであり、1月公演でレヴュウ「世界の唄」を 出したのに対し、宝塚少女歌劇団としてはむしろ、こうした もののほうが将来性があるという考えのものとに… コメント:0 2023年04月05日 続きを読むread more
森茉莉『父の帽子』1957,資料的価値と文学的価値を兼ね備える 森鴎外の子供は長女、森茉莉、次女、小堀杏奴、長男、森 於菟、三男・森類、・・・・・漱石の子供と比べてどうだろ うか、漱石の子供では文才では伸六さんが図抜けているのみ、 鴎外の子供は皆、物を書き、特に、森茉莉、小堀杏奴、まず まずの森於菟も、次男、類はセンセーショナル、エッセイで 母親が杏奴の成績不振を歎いていたと暴露… コメント:0 2023年04月05日 続きを読むread more
昭和天皇、日本人向け公式記者会見(1975年10月31日)での真意を考える 昭和天皇は1975年9月30日から15日間、訪米された。帰国後 、今度は初めての日本人向けの記者会見に応じられた。1975年、 昭和50年、10月31日、皇居「石橋の間」において。なにしろ戦 前、天皇は「人間」でなく「神」とされた。戦後、(本当に事実 かどうか、疑問はあるが)昭和天皇は「私は人間である」と宣言 された… コメント:1 2023年04月05日 続きを読むread more