司馬遼太郎『歴史と小説』1969,司馬史観の「俯瞰法」という方法論

 歴小説は司馬文学の最大のジャンルである。これが近代以前 であればいいが、明治以降となるとその史観を批判されること も多い司馬遼太郎。だれも本当の歴史など分かりやしない。ど こかで資料の引き写し、または資料の大量引用、一種の盗作、 などが大家!の間でも横行だが、書くとなれば当然だ。  司馬文学の歴史小説、ほんとに話題作…
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季節外れのインフル、風邪症候群の蔓延、懸念されていたADE(抗体依存性感染増強)

 季節外れのインフル、風邪症候群が子どもたちを中心に 蔓延しているという。このたびの世界的な「新型コロナ騒動」 ほど人間愚ノア史記面が大規模に露呈した社会現象は見出し 難い。疑問は何重にも存在する、存在しても国や行政、メディ ア、巨大IT産業、などによって封殺される、・・・・ことこそ が前例のない、とんでもない事態であるこ…
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気象を洗脳、愚民化に利用は許されない。気象報道のアナウンサーの口調が真珠湾攻撃にような絶叫口調!

    なにか話題がなければ天気のことを話せばいい、それが昂 じてなのだろうか、人の精神を支配するには天気、気候という 時代になったわけである。古来、大雨、豪雨、台風は日常茶飯 事だったし、今からは考えられない「異常」気象も多かった。 昭和一桁のある年、大阪は2月から7月まで晴が数日しかなかっ た、また台風の激しさも今からす…
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西條八十『我愛の記』1962,国民詩人の万感の懐いの随筆

 西條八十さんは戦時下において日本文学報国会詩部会の 幹事長を務め、多くの軍歌の作詞を行った。ために終戦後、 「西條八十、戦犯か」とも報じられ、青酸カリをつねに持 ち歩くという断崖絶壁の心境にあった。で、亡くなられた のが1970年か、78歳。しかし、まさに国民詩人と云えた。 1962年、昭和37年に刊行された『我愛の記』…
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