あゝ、スバル貧乏、トラブル続出、極悪燃費

 私のカーライフは長い、大学も都会でその後も居座ったの で田舎に戻るまで車に乗る機会はなかった。駐車場がまず見 当たらない。でも30歳前からはなんとか、そこからだったが マイカーに限っても通算走行距離も45万キロを超えた。あの インプレッサDBA-GH2はマイカーとしては4台目、それまで 13万キロを超えたマイカーが2台あ…
コメント:0

続きを読むread more

『マンザナールよさらば』Farewell to Manzanar, ジャンヌ・ワカツキ、収容された日系少女の心の記録

  日米戦が真珠湾攻撃で開始、アメリカ太平洋岸在住の日本人、 日系人11万人以上が大統領命令によって砂漠の強制収容所に 追い込まれた。スターリン治下、ナチスの絶滅収容所、現在 の北朝鮮の強制収容所より確かに「待遇」は相対的にはいい にせよ、強制収容所であることに変わりはない。米国籍があ ろうと日系というだけで強制収容所に…
コメント:0

続きを読むread more

古今亭八朝さん、老衰で71歳で死去、老衰年齢として早すぎないか

    古今亭八朝さん、実は存じ上げなかったが71歳で老衰で死去 、というニュースで「今どき、71歳で老衰とは」と正直、驚き もした。無論、何処かに疾患はある、全く無病という人は古希 を過ぎていないと思うが、老衰というからには、死んだ原因に 持病などが結び付けられない、直接の原因と認められず、ただ 全身の機能が全体的に低下し…
コメント:0

続きを読むread more

宝塚、懐かしの写真館(312)昭和11年、1936年、秋の大原に往時をしのぶ、轟夕起子、藤花ひさみ、大空ひろみ、加…

 轟夕起子:極楽院の庭に立って往徳を偲ぶ    藤花ひさみ:極楽院の庭先は杉苔の濃緑に庭をしきつけた        よう    大空ひろみ:地蔵仏のおわします寂光院本堂、紅葉におおわれた        山門の彼方は杉の山     加賀松乃:三千院山門    佐保美代子:…
コメント:0

続きを読むread more

庄野潤三『ガンビア滞在記』1959,オハイオ州の田舎町での生活を写実的にありのままに

    庄野潤三さんは大阪外語を出られての関西系作家だが、生年 は大正10年、1921年で大阪外語を出て九州大法文学部東洋史学 科だが戦時下で繰り上げ卒業、海軍予備学生、戦地には行かれ てない。戦後、今宮中学、その後の今宮高校教員、野球部長で 今宮中学を甲子園大会に導いた。退職し、朝日放送入社、1955 年「プールサイド小景…
コメント:0

続きを読むread more