「自分探しの旅」か「終活」か?

 「自分探しの旅」が具体的に何を意味するのやら、自分に 秘められた可能性、別に立身出世などではなく、どこまでも 内なる可能性の追求、という定義でないと実際の意味をなさ ない。内面の可能性だから年齢も関係はない。別に金儲けの 才能も否定できないが、やはりそれは方向が違うと思える。 実務的にはおよそ救いがたい、鈍物、それは分か…
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福地いま『私は中国の地主だった』1954,岩波書店、対話形式で中国共産化の実態を語る

 まず対話形式だが、著者の「福地いま」さん、は1910年、 明治43年、栃木県生まれ。刊行時は44歳、1933年、昭和8 年、明治大学法学部在学中に中国人留学生の男性と結婚、 1936年、昭和11年に明治大学を卒業後、北京に渡って、1940 年からは南京中央大学の日本語講師就任、終戦まで勤務。終 戦後に夫の郷里、四川省に行…
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六曜による社会的損害は天文学的、カレンダーへの六曜記載を自粛させる国民運動を!

    日本社会に巣くう社会的制度的な迷信として、およそ六曜 に勝るものはない。その生み出す社会的損失、損害は、その 六曜自体が全くの荒唐無稽な漢字の語呂合わせでしかなく、 それに日本人が絶対的な意味をもたせ、持たされ、限られた 時間を無為にしてしまう、というとんでもない話である。 そもそも六曜が意識され始めたのは明治以降と…
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