三浦朱門『武蔵野インディアン』1982.武蔵野を描いた点で国木田独歩と双璧か?

    今でこそ東京23区でも戦前はかなりの期間、高円寺村、 渋谷村、かろうじて新宿あたりはまでが東京市だったよう に聞いているが、私の母親でも生まれは「高円寺村」とあ る。すでに昭和だった、それが現在の中央線沿線ともなる と武蔵野そのもの、ついに東京に縁がなかった私は話には 聞いても、どうも実際、行った経験が皆無であるから…
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紅白司会、唯一の失敗例となった林美智子さんの1965年の紅組司会、見ていて本当に気の毒だった

    紅白司会、今まで担当した人は多い、またある時期からは 総合司会という新たな司会役も登場した。古来は、それぞれ 紅組司会、白組司会であった。全て見たわけではない、最近 は全然見ないが、専門的アナウンサー、俳優、歌手、タレント 、など多くの司会役がいたが、皆、実に堂がいって上手かった 、ただし唯一の例外を除けば、でそれが…
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「アクセルとブレーキ踏み間違え論者」はなぜ「左足ブレーキ」を絶対に主張しないのか?

    警察庁から発信された「アクセルとブレーキ踏み違え論」を 日本のメディア、新聞雑誌から既成ネットサイト、全て絶対 正しいと疑わず、それの帰結が「認知症」という優生的な思想 であり、免許更新で高齢者には「精神病名検査」たる「認知症 検査」が義務付けられる、日本の自動車教習所は精神病院、精 神科の下請け機関化という世界でも…
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杉森久英『啄木の悲しき生涯』1965,啄木の評伝としては並であるが個性もある

 日本近代文学史上でおよそ、石川啄木にまさるレジェンド はないと思える。啄木については、「どこまで研究しても、 啄木はどんどん遠ざかる」と歎く論者もいるほど、わずか26 歳2ヶ月の人生でこれほど、多面的で深く、毀誉褒貶の要素 に富んで恐るべき文学的業績の人物はいないと思われる。こ の評伝は1965年、昭和40年の刊行でやや…
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