石川淳『夷斎俚諺・夷斎筆談』(ちくま学芸文庫)再論、さすがの和漢洋の教養と反骨、抵抗精神 「夷斎」とは石川淳の号なのだろうか、この「夷斎」と冠 したエッセイは他にもある。石川淳の文体は型破りと云われ る。わざとらしく、全くくだけて、云うならばざっくばらん である。二葉亭四迷は石川淳とおなじ東京外語(ロシア語)のせ いかどうか、石川淳はえらく親しみを二葉亭に親しみの感情を 抱いているようだ。だから二葉亭の「評伝… コメント:0 2024年10月09日 続きを読むread more
宝の持ち腐れだった自動二輪・限定解除,大型バイクは迷夢と終わりけり 私の大学生時代、というより遥かそれ以前だとは思うが、 若者にはバイクが凄まじい人気だった。男子大学生の、も しや最大の関心事、楽しみという点での関心事はバイクで あったと思う。そもそも私は家庭環境、状況から乗り物に はほぼ関心はなかった。親といえば、父親だが。、運転免 許は生涯、いわゆる軽自動車免許のみ、360ccまで… コメント:0 2024年10月09日 続きを読むread more
城米彦造の有楽町の立ち続けた戦後の10年間、有楽町を去った日。喜びと悲しみの人生模様。102歳の長寿を達成 城米彦造、1904~2006,昭和時代に活躍した画家、路上詩人 、何よりも終戦後10年余り、有楽町駅前で自作の詩を売り続け たことで知られる人、その苦難の人生、と言いたいが102歳の 長寿もまた驚きである。wikiの解説はまずまずだが非常に概括 的である。 何より、終戦後、10年余り、有楽町駅の柱の陰で自作の詩集… コメント:0 2024年10月09日 続きを読むread more