香月弘美さんを偲びて(団員、同期生)
幸か不幸か、「つぶやき館」も模様替えの再スタートとなり、多少内容を変
えて、再記述ということになりました。「香月弘美、宝塚舞台事故、21歳の旅
立ち」を補完する記事も数多くあったの、それを改めて。香月さんを偲ぶ関
者、友達の言葉を収録します。
大きなショック
沖ゆき子 月組組長
4月1日、東京の家に帰っていた私は、弘美さんのしを伝える電話を聞い
ても、どうしても信じることは出来ませんでした。
「ひろえちゃん、そばにいてあげられなくて、ごめんなさいね」
すぐかけつけた弘恵ちゃんの、まるで蝋人形のように美しい死に顔に向
かって言えたのはそれだけの言葉でした。
いつか雨上がりの道を私が歩いて着物をすっかりハネで汚してしまった時
、自分の着物を出してくれて、汚れをきれいにとってくれた弘恵ちゃん、めっ
たに自分の着物の柄を覚えない私が、あの時貸してくれた着物の柄だけは
はっきり覚えています。それほど温かいお気持ちを、折にふれて見せてくれ
てました。
私は月組の組長として、大切な、大切な人様のお嬢様方を大勢預からせ
ていただいている身の重圧をひしひしと感じ、今回は自分のその力のなさ
を痛感させられました。これを機会に宝塚をやめようとも思いました。
5月に月組が「花の中の子どもたち」を事故後も、続演するにあたって、内
部からも外部からもその可否につき、多くの意見が起こりました。それを敢
えて続けた理由は、弘恵ちゃんの御両親が「弘恵の霊を弔うためにも、是
非友続けてください」と仰られたことが月組団員の決意を固めさせたのです
。
私は何もやってあげられなかったことをお詫びするとともに、弘恵ちゃん
の愛した宝塚月組のためにもこの公演を成功させたい、二度とこのような
事故が起こらない安全で健全な宝塚にしたいと及ばずながらそれのみを
念じております。
弘恵ちゃんも天国からも力になってくれると思います。
お稽古姿が今なお
打吹美砂 花組組長
香月ひろみさんとは組が違いましたのでお話したことはございません。が
花柳先生のお宅に日舞のお稽古に行った折、いつもお若いのに本当に熱
心だなと、その将来性ある娘役の姿に他の組みながら期待しておりました
。もう退団された星宮真沙美さんにどこか面影がにているな、と感じており
ました。
4月公演も、花組の応援に来られ、代役をされるときも、『代役をいたしま
すのでよろしくお願いします』とお部屋に挨拶に来られ、私は『しっかりね』
と普通、代役される方に言う言葉を交わしたものでした。でもそれが最後に
なるとは。
5年前、同じ「春の踊り」に胸を膨らませて初舞台を踏んだ弘美さんが、あ
れからごとせ、巡りきた春の桜咲く日に、あたら若い命を失うなど、誰が予
測したでしょうか。
けれども、私達は、この弘美さんの尊い犠牲を無駄にせず、力の限り舞
台を踏むことこそ故人への何よりのはなむけと思っております。
安らかに眠るその顔に
登代春枝 月組
「花の中の子どもたち」第26場
その日、私は魔女の扮装のまま二階の楽屋で次の出を待っておりました。
と、あのトランプの場に出ていた初舞台生が只事ならない叫び声を挙げな
がら階段を駆け上がってきました
『どうしたの?』 と聞いたら
『死にはったんです』という声もオロオロと涙声、。
『ええ!』
と私は咄嗟に階段を降りようとすると、すでに階段の下は劇場課の人がい
て『降りてきてはいけません』と足止めされました。
私達出演者は楽屋に閉じこもったまま、シーンとして誰も口をきかず、不
気味なほどの静寂の楽屋、
それから何刻ほどたったでしょうか、関係者の方が上がって来られて
『亡くなった方にお化粧してあげてください』と言われましたので、私と畷さ
ん、瑠璃さんの三人が、早変わり室に安置されて、寝棺に眠る今はなき人
の傍らに、ーそこには生前好きだっったという華やかな着物に緑の袴姿の
弘恵ちゃんが、あのような無残な死を遂げたとは思われない、安らかな死に
顔で眠っていました。
今にもあの特徴あるパッチリした目を開けて『いやぁ、すいまsねん、あたし
こんなとこに寝ていたんですか』
といいそうな錯覚に襲われました。
溢れる涙を拭いながら私はコールドクリームをつけてまずお化粧の下地
を塗ってあげました。そして畷さん、瑠璃さんと代わる代わるパフと紅筆で
美しくお化粧してあげたのです。前にもまして生きておられるかのような錯
覚をよび、また新たな涙を誘われました。
幼いときから日舞を習っておられたというだけに日本物が似合い、月組
にもいい娘役が出てきたと喜んでおりましたら。
花柳先生のレッスンにも熱心に通っていた姿が今も目に浮かびます。天
命とはいいながら、桜の花とともに若くして散った弘恵ちゃん、今はただ亡
き人の御霊よ安らかなれとそのご冥福を祈るばかりでございます。
弘恵ちゃんの分まで頑張ります
日夏夕里 月組同期生
「花の中の子どもたち」第26場
私が休む前日のこと、扁桃腺を腫らして熱っぽい顔で楽屋で皆と話をす
る気にもなれず、ボーっとしていたら
『みっちゃん、無理しちゃだめよ、えらかったら帰ったらいいのよ』
と気遣ってくれた弘恵ちゃん、
『うん、任しといて、ドンと来いですよ』
と胸を叩いていたはりきっていた姿に、私は安心していたんですが、
私の代役であのような無惨な事故でなくなったことを思うたび、私の胸は
痛くうづくのです。私さえ、休まなかったら、・・・・・そういう悔いは今は空しい
ものとなりました。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
あの事故のあった朝、弘美ちゃんはこの林芙美子の歌が好きと言ってま
した。その歌のように弘美ちゃんは命を散らしてしまいました。なんと儚く・・・。
神様な何故このようなことをされるんでしょうか。
でもこういう私を励ましてくださったのは弘恵ちゃんの御両親でした。歌劇
団葬のあった翌朝、わざわざ私の家までおいでになられ、
『亡くなった弘恵の霊に報いて下さるというなら、貴女が元気に舞台を全う
されることなんですよ。弘恵も貴女が悩み、クヨクヨされることなど喜ばない
でしょうから、・・・・・』
私こそ、御両親にお詫びにお伺いせねばと思っていたのですが、申しわけ
なさでいっぱいです。
たった一人の愛娘を亡くされた御両親のためにも、弘恵ちゃんの例に報い
るためにも、私は全身全霊で舞台を務めてまいる覚悟でございます。
弘恵ちゃんとフラちゃん
杉四季子 月組同期生
フラちゃんとは、私のところから弘恵ちゃんに貰われていった猫のことです。
フラちゃん、この名前はちょうど、弘恵ちゃんが尊敬する故里明美さんがハ
ワイに行かれていたときだったので、考え抜いた挙げ句に
『山田さん(故里さんの本名)は今頃ハワイでフラダンスを踊っておられるか
も、だったらフラちゃんって名前はどう』
と弘恵ちゃんが言われたので、決まりました。
よく弘恵ちゃんは
『うちのフラちゃんはね、贅沢で煮干しでも江ノ島の煮干ししか食べないの
よ』と自慢してましたが、
だから公演が休みで片瀬のご自宅に帰られたたら、必ずフラちゃんの好物
の煮物を買ってきてました。
あの事故でなくなる前、フラちゃんが死んだ夢を見たと、私はそんなのウソ
と慰めてましたが、でも未だフラちゃんの姿を見ないというのは正夢だったの
かもしれません。
あの弘恵ちゃんがもういないなんて、楽屋の隣にもういないなんて信じられ
ません。ふと気づいて空席の隣の化粧前をみるたびに同じグループだった
弘恵ちゃんの御霊夜安らかなれと祈る私です。
えて、再記述ということになりました。「香月弘美、宝塚舞台事故、21歳の旅
立ち」を補完する記事も数多くあったの、それを改めて。香月さんを偲ぶ関
者、友達の言葉を収録します。
大きなショック
沖ゆき子 月組組長
4月1日、東京の家に帰っていた私は、弘美さんのしを伝える電話を聞い
ても、どうしても信じることは出来ませんでした。
「ひろえちゃん、そばにいてあげられなくて、ごめんなさいね」
すぐかけつけた弘恵ちゃんの、まるで蝋人形のように美しい死に顔に向
かって言えたのはそれだけの言葉でした。
いつか雨上がりの道を私が歩いて着物をすっかりハネで汚してしまった時
、自分の着物を出してくれて、汚れをきれいにとってくれた弘恵ちゃん、めっ
たに自分の着物の柄を覚えない私が、あの時貸してくれた着物の柄だけは
はっきり覚えています。それほど温かいお気持ちを、折にふれて見せてくれ
てました。
私は月組の組長として、大切な、大切な人様のお嬢様方を大勢預からせ
ていただいている身の重圧をひしひしと感じ、今回は自分のその力のなさ
を痛感させられました。これを機会に宝塚をやめようとも思いました。
5月に月組が「花の中の子どもたち」を事故後も、続演するにあたって、内
部からも外部からもその可否につき、多くの意見が起こりました。それを敢
えて続けた理由は、弘恵ちゃんの御両親が「弘恵の霊を弔うためにも、是
非友続けてください」と仰られたことが月組団員の決意を固めさせたのです
。
私は何もやってあげられなかったことをお詫びするとともに、弘恵ちゃん
の愛した宝塚月組のためにもこの公演を成功させたい、二度とこのような
事故が起こらない安全で健全な宝塚にしたいと及ばずながらそれのみを
念じております。
弘恵ちゃんも天国からも力になってくれると思います。
お稽古姿が今なお
打吹美砂 花組組長
香月ひろみさんとは組が違いましたのでお話したことはございません。が
花柳先生のお宅に日舞のお稽古に行った折、いつもお若いのに本当に熱
心だなと、その将来性ある娘役の姿に他の組みながら期待しておりました
。もう退団された星宮真沙美さんにどこか面影がにているな、と感じており
ました。
4月公演も、花組の応援に来られ、代役をされるときも、『代役をいたしま
すのでよろしくお願いします』とお部屋に挨拶に来られ、私は『しっかりね』
と普通、代役される方に言う言葉を交わしたものでした。でもそれが最後に
なるとは。
5年前、同じ「春の踊り」に胸を膨らませて初舞台を踏んだ弘美さんが、あ
れからごとせ、巡りきた春の桜咲く日に、あたら若い命を失うなど、誰が予
測したでしょうか。
けれども、私達は、この弘美さんの尊い犠牲を無駄にせず、力の限り舞
台を踏むことこそ故人への何よりのはなむけと思っております。
安らかに眠るその顔に
登代春枝 月組
「花の中の子どもたち」第26場
その日、私は魔女の扮装のまま二階の楽屋で次の出を待っておりました。
と、あのトランプの場に出ていた初舞台生が只事ならない叫び声を挙げな
がら階段を駆け上がってきました
『どうしたの?』 と聞いたら
『死にはったんです』という声もオロオロと涙声、。
『ええ!』
と私は咄嗟に階段を降りようとすると、すでに階段の下は劇場課の人がい
て『降りてきてはいけません』と足止めされました。
私達出演者は楽屋に閉じこもったまま、シーンとして誰も口をきかず、不
気味なほどの静寂の楽屋、
それから何刻ほどたったでしょうか、関係者の方が上がって来られて
『亡くなった方にお化粧してあげてください』と言われましたので、私と畷さ
ん、瑠璃さんの三人が、早変わり室に安置されて、寝棺に眠る今はなき人
の傍らに、ーそこには生前好きだっったという華やかな着物に緑の袴姿の
弘恵ちゃんが、あのような無残な死を遂げたとは思われない、安らかな死に
顔で眠っていました。
今にもあの特徴あるパッチリした目を開けて『いやぁ、すいまsねん、あたし
こんなとこに寝ていたんですか』
といいそうな錯覚に襲われました。
溢れる涙を拭いながら私はコールドクリームをつけてまずお化粧の下地
を塗ってあげました。そして畷さん、瑠璃さんと代わる代わるパフと紅筆で
美しくお化粧してあげたのです。前にもまして生きておられるかのような錯
覚をよび、また新たな涙を誘われました。
幼いときから日舞を習っておられたというだけに日本物が似合い、月組
にもいい娘役が出てきたと喜んでおりましたら。
花柳先生のレッスンにも熱心に通っていた姿が今も目に浮かびます。天
命とはいいながら、桜の花とともに若くして散った弘恵ちゃん、今はただ亡
き人の御霊よ安らかなれとそのご冥福を祈るばかりでございます。
弘恵ちゃんの分まで頑張ります
日夏夕里 月組同期生
「花の中の子どもたち」第26場
私が休む前日のこと、扁桃腺を腫らして熱っぽい顔で楽屋で皆と話をす
る気にもなれず、ボーっとしていたら
『みっちゃん、無理しちゃだめよ、えらかったら帰ったらいいのよ』
と気遣ってくれた弘恵ちゃん、
『うん、任しといて、ドンと来いですよ』
と胸を叩いていたはりきっていた姿に、私は安心していたんですが、
私の代役であのような無惨な事故でなくなったことを思うたび、私の胸は
痛くうづくのです。私さえ、休まなかったら、・・・・・そういう悔いは今は空しい
ものとなりました。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
あの事故のあった朝、弘美ちゃんはこの林芙美子の歌が好きと言ってま
した。その歌のように弘美ちゃんは命を散らしてしまいました。なんと儚く・・・。
神様な何故このようなことをされるんでしょうか。
でもこういう私を励ましてくださったのは弘恵ちゃんの御両親でした。歌劇
団葬のあった翌朝、わざわざ私の家までおいでになられ、
『亡くなった弘恵の霊に報いて下さるというなら、貴女が元気に舞台を全う
されることなんですよ。弘恵も貴女が悩み、クヨクヨされることなど喜ばない
でしょうから、・・・・・』
私こそ、御両親にお詫びにお伺いせねばと思っていたのですが、申しわけ
なさでいっぱいです。
たった一人の愛娘を亡くされた御両親のためにも、弘恵ちゃんの例に報い
るためにも、私は全身全霊で舞台を務めてまいる覚悟でございます。
弘恵ちゃんとフラちゃん
杉四季子 月組同期生
フラちゃんとは、私のところから弘恵ちゃんに貰われていった猫のことです。
フラちゃん、この名前はちょうど、弘恵ちゃんが尊敬する故里明美さんがハ
ワイに行かれていたときだったので、考え抜いた挙げ句に
『山田さん(故里さんの本名)は今頃ハワイでフラダンスを踊っておられるか
も、だったらフラちゃんって名前はどう』
と弘恵ちゃんが言われたので、決まりました。
よく弘恵ちゃんは
『うちのフラちゃんはね、贅沢で煮干しでも江ノ島の煮干ししか食べないの
よ』と自慢してましたが、
だから公演が休みで片瀬のご自宅に帰られたたら、必ずフラちゃんの好物
の煮物を買ってきてました。
あの事故でなくなる前、フラちゃんが死んだ夢を見たと、私はそんなのウソ
と慰めてましたが、でも未だフラちゃんの姿を見ないというのは正夢だったの
かもしれません。
あの弘恵ちゃんがもういないなんて、楽屋の隣にもういないなんて信じられ
ません。ふと気づいて空席の隣の化粧前をみるたびに同じグループだった
弘恵ちゃんの御霊夜安らかなれと祈る私です。
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