『鮨』岡本かの子、多分、彼女の最高傑作だろう
岡本かの子の作品で何がベストかといえば、豪華絢爛たる『花は
勁し』、あの有名な『老妓抄』等が挙げられるにせよ、好みから云えば
この『鮨』である、岡本かの子の作品の登場人物にありがちな高等遊
民的な部分があるのは事実だ、だが読後も長く「湊」という人物の面影
が心に残る、プチブル的だからつまらない、などとは到底言えない、な
んというか嫋々たる哀感が漂っている。
でも岡本かの子の作品て現在どレほど読まれているんだろう、ほぼ
大半の作品が青空文庫で読める、特筆すべきは文章の素晴らしさ、
幼い頃から古典に親しんだその文章力は比類がなく、『花は勁し』に顕
著だが、すべての作品に妥当すると思える。
東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖がけの多い街がある。
表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
つまり表通りや新道路の繁華な刺戟しげきに疲れた人々が、時々、刺戟を外はずして気分を転換する為めに紛まぎれ込むようなちょっとした街筋――
福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
古くからある普通の鮨屋すしやだが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよの両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
新らしい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど出まえだったが、新らしい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、始めは、主人夫婦と女の子のともよ三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった
寿司屋に来る客は様々である。「現実から隠れん坊をしている
ような者同志の一種の親しさから」 懇ろな眼差しで見合ったり
するかと思うと「木石」のごとく、まったく無交渉に鮨をつまんで帰
る客もいる。
客の中に湊という、50すぎの紳士で、何やら憂愁を帯び、他の
客が先生と呼んでいる、ただし職業はわからず「鋭い理知からく
る一種の諦念」というようなものが人柄に現れていた。
この鮨屋、「福ずし」の看板娘「ともよ」は湊が気になって仕方が
なかった。湊に存在を無視されたら大きな物音を立てて、湊に知
らせたり。湊が酒を飲みすぎると、別に体を思いやるからでなく、妙
な嫉妬から盃をひったくってしまう。
ある日、ともよは表通りに買い物にでかけ偶然に湊に出会った。
ともよは湊になにか聞いてみたい気持ちになった。ともよの最初に
口から出たのは凡庸で「あなた、お鮨が本当にお好きなの」
「好きでないことはないさ、けどさほど食べたくないときでも、鮨
を食べることが僕の慰みになるんだよ」
そうなった理由を湊は自分の人生を語ることで明らかにしてい
った。ただ最初からそれは自分のこととしては話さなかった、ある
子供の話という感じで、・・・・・・
旧ふるくなって潰つぶれるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているのかもしれないね――というような言葉を冒頭に湊は語り出した。
その子供は小さいときから甘いものを好まなかった。おやつにはせいぜい塩煎餅せんべいぐらいを望んだ。食べるときは、上歯と下歯を叮嚀ていねいに揃そろえ円い形の煎餅の端を規則正しく噛み取った。ひどく湿っていない煎餅なら大概好い音がした。子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼そしゃくして咽喉のどへきれいに嚥のみ下してから次の端を噛み取ることにかかる。上歯と下歯をまた叮嚀に揃え、その間へまた煎餅の次の端を挟み入れる――いざ、噛み破るときに子供は眼を薄く瞑つぶり耳を澄ます。
その子供は極端な偏食だった、のだ。
魚が嫌い、野菜も数が少なく。肉類は絶対に駄目という徹底ぶり。
いじけた可愛げのない子供であった。
幼い感情から。わけもなく腹一杯になる時、子供は酸味のあるも
のを貪り食べた。子供の変色は母親の頭痛のためであった。どうに
かして少しでも食べておくれと頼んだ。子供は自分が食べないことで
親不孝をしていると思い、つらかった。こんな自分なら滅び去っていい
。何でも食べてみよう、と思った。
母親は青葉の移りゆく濃くさす縁側にゴザを敷き、鮨屋を開業した。
まな板も包丁も水桶も真新しいものばかり。母親の手も美しかったが
、その美しい手で作られた卵焼き鮨を子供は食べた。卵の甘みと鮨
メシの酸味が何とも言えない味わいで、母親に体を擦り付けたいほ
度であった。母親は手品師のようにいろいろな鮨を握った。子供は生
まれて初めてイカを食べた。鯛もひらめも。
「今のは確かに、本当の魚に違いない、自分は魚が食べられたの
だ」子供は生きているものを初めてかみ殺したような「征服と新鮮」
を感じた。
ざくろの花のような色の赤貝の身だの、二本の銀色の地色に竪縞たてじまのあるさよりだのに、子供は馴染なじむようになった。子供はそれから、だんだん平常の飯の菜にも魚が喰べられるようになった。身体も見違えるほど健康になった。中学へはいる頃は、人が振り返るほど美しく逞しい少年になった。
すると不思議にも、今まで冷淡だった父親が、急に少年に興味を持ち出した。晩酌の膳の前に子供を坐らせて酒の対手あいてをさしてみたり、玉突きに連れて行ったり、茶屋酒も飲ませた。
その間に家はだんだん潰れて行く。父親は美しい息子が紺飛白こんがすりの着物を着て盃を銜ふくむのを見て陶然とする。他所よその女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七になったときには、結局いい道楽者になっていた。
中学も高校も大学も苦もなく進めた。だが並行して家は完全に
没落し。両親や姉兄も死んでしまった。五十近くなった時、一生生
活に心配がないと見極め、仕事もやめた。住所不定の生活が始ま
った。
長い話の後で、湊は
「その子供とは私のことだ」と話した。
それ以後、「福ずし」に湊は姿を見せなくなった。
それにしても「湊」と云う人物が読後も長く心に残る、「鮨」という
食べ物を通して「高い命への憧れ』というものを描いており、なんと
もすっきりまとまった好短編というのは納得できる。
旧家と重みと歪みは岡本かの子の一貫するテーマである。
その重みと歪みに蝕まれた存在としての「湊」、その回想が作品
の中心をなしている。旧家と没落、・・・。
湊などは高等遊民すぎると当時は批判された、かの子が貧困を
知らないと。
岡本かの子が貧困を知らないはずはない。没落による貧困であ
る。あの時代、盤石は容易には在り得なかった。
庶民的な生活感覚が実は「鮨」においてよく描かれている、その
意味でも好感は持てるし、一人の人物の運命、生き様をしみじみと
感じさせてくれる。生きる儚さをも。
私は「鮨」を岡本かの子第一の作品と云うに躊躇しないのである。
勁し』、あの有名な『老妓抄』等が挙げられるにせよ、好みから云えば
この『鮨』である、岡本かの子の作品の登場人物にありがちな高等遊
民的な部分があるのは事実だ、だが読後も長く「湊」という人物の面影
が心に残る、プチブル的だからつまらない、などとは到底言えない、な
んというか嫋々たる哀感が漂っている。
でも岡本かの子の作品て現在どレほど読まれているんだろう、ほぼ
大半の作品が青空文庫で読める、特筆すべきは文章の素晴らしさ、
幼い頃から古典に親しんだその文章力は比類がなく、『花は勁し』に顕
著だが、すべての作品に妥当すると思える。
東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖がけの多い街がある。
表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
つまり表通りや新道路の繁華な刺戟しげきに疲れた人々が、時々、刺戟を外はずして気分を転換する為めに紛まぎれ込むようなちょっとした街筋――
福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
古くからある普通の鮨屋すしやだが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよの両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
新らしい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど出まえだったが、新らしい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、始めは、主人夫婦と女の子のともよ三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった
寿司屋に来る客は様々である。「現実から隠れん坊をしている
ような者同志の一種の親しさから」 懇ろな眼差しで見合ったり
するかと思うと「木石」のごとく、まったく無交渉に鮨をつまんで帰
る客もいる。
客の中に湊という、50すぎの紳士で、何やら憂愁を帯び、他の
客が先生と呼んでいる、ただし職業はわからず「鋭い理知からく
る一種の諦念」というようなものが人柄に現れていた。
この鮨屋、「福ずし」の看板娘「ともよ」は湊が気になって仕方が
なかった。湊に存在を無視されたら大きな物音を立てて、湊に知
らせたり。湊が酒を飲みすぎると、別に体を思いやるからでなく、妙
な嫉妬から盃をひったくってしまう。
ある日、ともよは表通りに買い物にでかけ偶然に湊に出会った。
ともよは湊になにか聞いてみたい気持ちになった。ともよの最初に
口から出たのは凡庸で「あなた、お鮨が本当にお好きなの」
「好きでないことはないさ、けどさほど食べたくないときでも、鮨
を食べることが僕の慰みになるんだよ」
そうなった理由を湊は自分の人生を語ることで明らかにしてい
った。ただ最初からそれは自分のこととしては話さなかった、ある
子供の話という感じで、・・・・・・
旧ふるくなって潰つぶれるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているのかもしれないね――というような言葉を冒頭に湊は語り出した。
その子供は小さいときから甘いものを好まなかった。おやつにはせいぜい塩煎餅せんべいぐらいを望んだ。食べるときは、上歯と下歯を叮嚀ていねいに揃そろえ円い形の煎餅の端を規則正しく噛み取った。ひどく湿っていない煎餅なら大概好い音がした。子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼そしゃくして咽喉のどへきれいに嚥のみ下してから次の端を噛み取ることにかかる。上歯と下歯をまた叮嚀に揃え、その間へまた煎餅の次の端を挟み入れる――いざ、噛み破るときに子供は眼を薄く瞑つぶり耳を澄ます。
その子供は極端な偏食だった、のだ。
魚が嫌い、野菜も数が少なく。肉類は絶対に駄目という徹底ぶり。
いじけた可愛げのない子供であった。
幼い感情から。わけもなく腹一杯になる時、子供は酸味のあるも
のを貪り食べた。子供の変色は母親の頭痛のためであった。どうに
かして少しでも食べておくれと頼んだ。子供は自分が食べないことで
親不孝をしていると思い、つらかった。こんな自分なら滅び去っていい
。何でも食べてみよう、と思った。
母親は青葉の移りゆく濃くさす縁側にゴザを敷き、鮨屋を開業した。
まな板も包丁も水桶も真新しいものばかり。母親の手も美しかったが
、その美しい手で作られた卵焼き鮨を子供は食べた。卵の甘みと鮨
メシの酸味が何とも言えない味わいで、母親に体を擦り付けたいほ
度であった。母親は手品師のようにいろいろな鮨を握った。子供は生
まれて初めてイカを食べた。鯛もひらめも。
「今のは確かに、本当の魚に違いない、自分は魚が食べられたの
だ」子供は生きているものを初めてかみ殺したような「征服と新鮮」
を感じた。
ざくろの花のような色の赤貝の身だの、二本の銀色の地色に竪縞たてじまのあるさよりだのに、子供は馴染なじむようになった。子供はそれから、だんだん平常の飯の菜にも魚が喰べられるようになった。身体も見違えるほど健康になった。中学へはいる頃は、人が振り返るほど美しく逞しい少年になった。
すると不思議にも、今まで冷淡だった父親が、急に少年に興味を持ち出した。晩酌の膳の前に子供を坐らせて酒の対手あいてをさしてみたり、玉突きに連れて行ったり、茶屋酒も飲ませた。
その間に家はだんだん潰れて行く。父親は美しい息子が紺飛白こんがすりの着物を着て盃を銜ふくむのを見て陶然とする。他所よその女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七になったときには、結局いい道楽者になっていた。
中学も高校も大学も苦もなく進めた。だが並行して家は完全に
没落し。両親や姉兄も死んでしまった。五十近くなった時、一生生
活に心配がないと見極め、仕事もやめた。住所不定の生活が始ま
った。
長い話の後で、湊は
「その子供とは私のことだ」と話した。
それ以後、「福ずし」に湊は姿を見せなくなった。
それにしても「湊」と云う人物が読後も長く心に残る、「鮨」という
食べ物を通して「高い命への憧れ』というものを描いており、なんと
もすっきりまとまった好短編というのは納得できる。
旧家と重みと歪みは岡本かの子の一貫するテーマである。
その重みと歪みに蝕まれた存在としての「湊」、その回想が作品
の中心をなしている。旧家と没落、・・・。
湊などは高等遊民すぎると当時は批判された、かの子が貧困を
知らないと。
岡本かの子が貧困を知らないはずはない。没落による貧困であ
る。あの時代、盤石は容易には在り得なかった。
庶民的な生活感覚が実は「鮨」においてよく描かれている、その
意味でも好感は持てるし、一人の人物の運命、生き様をしみじみと
感じさせてくれる。生きる儚さをも。
私は「鮨」を岡本かの子第一の作品と云うに躊躇しないのである。

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