中上健次の肉筆原稿の必然性


 噂によれば、写真を見ても想像はつくが、中上健次は、コクヨの
集計用紙の罫線を縦にして原稿を書いたという。その長方形の青い
外枠の中に、同色の青いインクの万年筆で、これでもかという感じ
で文字が詰め込まれている。個性派というのか、酒乱で酔ったあげ
くの暴行など荒んだ面もあった異能の作家らしいとも云えるが、
より多くの文字を書くための配慮からか、文字は扁平なまでに圧縮
され、文字の間隔はないに等しく、時には文字同士で衝突している
のである。改行も読点もない、句点はある。

 文字が最下部まで来ると、必ず外枠をはみ出すまで書かれた後に
次の行に折り返すとか、余白を作ることは徹底的に嫌われている。
原稿の過半を占める平仮名も極度の回転運動で、あたかも中心に巨
大な球体を抱えたように迂回する。一字で見たらなんともバランス
を欠いた稚拙な文字に見えるが、そこには一定の規則性がある。

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 その肉筆の酷さと活字の決定稿のあまりの驚くべきギャップ、
中上健次という作家ほど、その書字に秘密を抱えた作家もいないだ
ろうという。

 たしかに中上健次の作品はなんともすさまじい。

 『枯木灘』、『地の果て至上の時』といった噂が真実となり得る
ような「路地」、被差別部落の物語や文字が読み書きできないオ
リュウノオバが登場する、いわば口承文学をテーマとする『千年の
愉楽』などの作品から、中上健次は『声』の作家とも言われたりも
する。

 江藤淳が、中上健次の文体について「文字に記された法によって
分節化され、歴史という通時的な遠近法の中に位置せしめられてい
る日常的な秩序の高速から、無限に解放しようという試みにほかな
らない」と書いているが、意味は不明確だが、その雰囲気はよく述
べてもいる。世界が「声によって分節化されている以上、・・・・
つねに生者と死者の声が、人の声と鳥の声が入り混じらないわけに
はいかない」から、出来事は重層的に起こっている、

 中上健次の書く言葉が記録するものではなく、発声の瞬間に中上
が立ち会っているかのような感じである。つまり発声と書字が同時
に行われている。そう考えないと、この独特すぎる遅れを伴った書
法は到底理解できない。

 渡辺直己によれば「中上は単に紙の上に欠いているのではない。
書きつけるべき言葉と同時に、それが書かれつつある未聞の平面
それ自体を刻々と生み出しているのだ」

 中上健次の肉筆原稿は、読点も改行もなく書き進められるが、読
点を用いる、また改行することは、たしかに文字=表記の要請だ。
「声」の世界ではそれらは沈黙を意味するであろう。そのような表
記上のルールを無視するのはより多くの文字をかく詰め込む必要が
あったが、隙間なく文字で埋め尽くすことと、物語の時間は表裏一
体であったろうから。

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