『されどわれらが日々』柴田翔、タイトルがかっこよすぎる学者の書いた青春小説
たしかにその作品名はかっこよすぎる、これこそこの小説の生命
だろうと思えるが、・・・・「されどわれらが日々」、時代背景は
1935年生まれという柴田翔に沿ったもので当時の若者の真摯さ、良
心を感じる。いまの権力に媚びて強きを助け弱きをくじく、という
卑劣なネトウヨの若者と比べたら天地の差だ、と思う。学生運動も
ほぼ消滅したのかどうか、戦争への、またファシズムへの危機感に
駆られて学生運動に飛び込んだかっての若者の群像は尊いと思う。
で、『されどわれらが日々』という作品名はこの小説だけに使う
のは惜しい気がする。「されどわれらが日々、ー私の場合」という
具合で数多くの小説ができそうな気がするが、もうこの作品名は
使えないだろうが。
最期は東大の文学部長までなって学者の、ドイツ文学者としての
道は極めたのだろうか、柴田翔だが、もう85歳が近い。まあ、あの
時代の良心的な若者を体現された方かもしれない。戦争体験も強烈
だ。学童疎開、戻れば焼け野原。1935年1月生まれ、私立武蔵高校
から東大理科Ⅰ類に、専門に進学時点で文学部に転科、ドイツ文学
科に。教育三法、小選挙区制、砂川闘争などの学生運動に加わる。
時代は「六全協」、「スターリン批判」などで左翼運動も激動期
でもあった。その体験が「されどわれらが日々」に基盤であるが
。
『親和力研究』で日本ゲーテ協会からゲーテ賞受賞が1961年、
修士論文がベース。その翌年が『されどわれらが日々』自己の学生
運動の体験が素材を提供した。その完成後ドイツ留学、『文學界』
に1964年転載され、芥川賞受賞。「六全協」以降の左翼運動の
分裂激動と恋愛、失恋、別れなどで甘い気はする、感傷的という
意味合いで。だけど読みきれないと告白するしかない。
その恋愛、別れの部分を利用しての映画化もなされている。
山口崇と小川知子、え、小川知子が主役!読み切りたいが読み
きれない、ゲーテ賞受賞なんて人の文章はねちっこい。
だから最初の部分が印象的だ、冒頭から古本屋の場面。
「私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に立ち寄
った。そして漠然と目についた本をとってw時間を過ごした。あ
るときは背表紙だけを眺めながら三十分、一時間と立ち尽くした
。そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ変色した紙や色あ
せた文字、手ずれやシミ、あるいはその本の持つ陰影といったも
のを、見ていたのだった」
古本屋の体験が真に或るものでないと書けない文章だろうな。
でも最後まで読めない、となしながらでも読みたいが。当時の
学生運動を背景にした恋愛小説ということは何となく分かる、。
生涯でなんとか最後まで読みたいものだが。
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