小森多慶子、忘れられた夭折の少女文学作家
かが書いているから書けるというものである。ところで、
日本では少女文学というのは侮蔑の対象でさえあった。西
洋の堂々たる評価の高い少女文学作家と比べ、日本の少女
文学作家となると例えのはなし、元神戸大学法学部英米法
の教授だった早川武夫先生は東大法学部で三島由紀夫の一
つ前の学籍番号だったが、三島由紀夫の小説など、こきお
ろし、「三島の小説なんか吉屋信子や石坂洋次郎レベルだ
」というくらいだ、その下らない、低級の引き合いとして
「吉屋信子」が出されているくらいだから。
確かに社会との関わり、大人への成長をテーマとする
西洋の少女文学と比べ、日本のそれは少女のお花畑を守る
、少女趣味の極地、・・・・。だがそうともいえない作品
がある、知られてないのである。
上笙一郎さんさんが詳しく研究されているようだが。そ
れとてその著作は入手は容易でもない。
小森多慶子は1892年、明治25年6月10日東京生まれ、横
浜の共立女学校を卒業。「秀才文壇」その他に小説を投稿
。その編集者だった岡本文弥=井上猛一と知り合って、籍
には入らなかったが結婚生活に入る。1919年、大正8年の
井上を編集長とする童話雑誌『おとぎの世界」が創刊され
ルト、童話を書くように成り、さらに「令女界」を主な舞
台として少女小説も執筆。しかし喉頭結核を病み、1924年
4月6日逝去。享年31歳。生前に童話集『銀の兎』1921年、
没後に少女小説集『紅子の死』1924年、『青い封筒』1925
年、『小森多慶子日記集』1926年
そもそも全く無名である、それが上笙一郎氏によると、
1970年ころ、国立国会図書館の司書をやっていた知人か
電話が入り「図書館の地下室に古い児童書らしき本が見つ
かった。廃棄しようと想うが、あなたの眼で一度ご覧にな
って判断してほしい」
そこには小川未明の小川家に一冊しか所蔵されていなか
った『赤い船』1910年もあった。一山の古書だった。また
そこに小森多慶子の『銀の兎』があったという。
上笙一郎氏はそれがきっかけで『紅子の死』、『青い
封筒』、さらには私刊版の『日記集』もゲットされたそう
だ。さらに童話集の『星の子供』1921もあるそうだが、こ
レは入手できていないそうである。出版されたことは確か
らしいが。
岡本文弥の私家版『日記集』は「日本の古本屋』サイト
で数冊出品されているようだ。3万~7万のプライスで簡単
には売れそうもないが。小森多慶子は夭折したが岡本文弥
は長生きし、百歳超え?で「長生きも芸のうち』という聞
き書きの本を出していると云うから皮肉なものだ。
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