人生は最後まで、まとまらない
高齢期!に達するといやでも、人生は一度限りだという重い事実を
心底実感してくる。若い頃や壮年時代なら、将来で何とか挽回したい、
挽回できると思ってそれで済んでしまう、まあ、いわば「将来幻想」
の中に生きられるというものだが、現実、人生がどんどん過ぎて行き
、過ぎた時間ばかり長くなり、残り時間が少なくなると、人生は一度
限りという当たり前の事実に愕然としてしまう。愕然とせざるを得な
い。だって人生で何もなし得ていない、なにか一貫した一つの道で、
名を成せないまでもやり通せたという満足感を持って人生を終えられ
る、・・・・・にはあまりにほど遠いわけであるから。
勿論のこと、功成り名を遂げた、的要素は皆無である。そりゃ、何
一つ人様より秀でた才能などないのだから仕方がないが、でそれは納
得するしかない。だが納得したのは表向きで、一度限りという酷薄な
真実を突きつけられる高齢期で、我が人生に到底納得はできない、と
云うのは本音である。
年をとったら病気をする?これは意外に事実のようで事実とは思え
ない。老化は避けられないが、病気になりやすいとも云えないのであ
る。私のように若い時代、しかも中三の三学期に入ってすぐに超大病、
いっとき良くなった、そこで潔く退院すればよかった、長々と入院は
百害あって一利なしなのだが、うちの親はことごとく、要所要所で
とんでもない誤った判断を繰り返し、人を不幸に追いやった。不幸の
宅配人という風情だった。ともかく若いうちは実は病気にかかりやす
く、重症化しやすい。
でその先、端的に云えば良く云えばアウトサイダーに徹した。自分
で好んでそうなったわけではなく、まあ、仲間はずれにされやすい、と
いうわけである。だから人生は彷徨と云うべきだった。「光を求めて」
といえばこれまた多少、かっこよくもあるが精神的にはそのとおりで
ある。社会から弾かれやすい、そういうタイプの人っているとは思う
が、それゆえ何か一つポジションを得ることが出来ず、一貫したこと
が出来なかった原因である。
あれこれ移り気を装って、無為に過ごした感は否めない。まだ残り
時間がながければ救いあるにせよ、人生の未達成感はどうしようもな
いわけである。
私が一番痛感するのは良心が歪んだ性格、ひねくれた性格の極みで
あり、そのような人間と子供時代から接した私は悪影響で心が歪み、
ひねくれて素直さに欠ける性格になったことである。いくら残りの人
生が短くなろうと、これは何とかしたい、真人間と云うべき人間性を
今からでも身につけたいと思う。
人生は結局、まとまりそうにない。まとまって納得できたら、かえっ
て虚しさを感じてむしろ悲しいかもしれない、人生いつまで経っても
未解決、永遠にさまよえる魂と云うべき領域に自分を老いておくのも
別の面で救いがあるのかもしれない。
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