『されどわれらが日々』柴田翔、タイトルだけはかっこいい骨董品の青春小説

東大文学部教授を全う、退官したと云うから安定した人生
だ、まずカチンとくる部分だ、内容はかなり前の世代の
学生運動、全共闘時代より遥か前、日本共産党が武装闘争
を放棄したという1955年あたり、柴田翔が1935年生まれ
だから時代的に学生運動としても古色蒼然である。ドイツ
文学を専攻の方だからどうも固苦しさを感じてしまう。
チャレンジしたが読みきれない、もはや骨董品のような、
エリート的な立場の青春小説ではある。内容自体はさほど
面白くない。もう少し時代が後ろになれば学生運動も面白
いが。
ともかくなお残る理由は名前のかっこよさに尽きるだろ
う。だがこれが映画化されているのだ。1971年に東宝から、
タイトルが「されど われらが日々より 別れの詩」先日
亡くなった山口崇と小川知子主演、小川知子が泣かせるが。
仄聞すれば大久保清の車の後部座席にあったという、誘っ
た女に「俺はこんな本を読んでいる」と見えを張った、の
だろう。
で、何?読むと最初あたりだけとなる、最初が、冒頭が
いきなり古書店なのだ。東京みたいに古書身性が多い場所
は学生と古書店の関わりが深い。
「私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に立ち
寄った。そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過
ごした。ある時は背表紙だけを眺めながら、三十分、一時間
と立ち尽くした。そういう時、私は題名を読むより、むしろ
変色した紙や色褪せた文字、手ずれやしみ、あるいはその本
の持つ陰影といったもの、を見てとったのだった」
間違いなく、相当に古書店に通った経験があるのだろう。
古書店がテーマの小説といえば江戸川乱歩「K坂野殺人事件」
とか三島由紀夫の「永すぎた春」とか、外国にも結構ある。
英文学専攻の大学院生の主人公は百円かどうか、当時なら
もっと安いはずだが、「均一コーナー」の本をひっくりかえ
しえてゃ漁る。雑多な本がそこにはあった、『避妊法』、「
革命理論」、「育児法」また聞いたこともない翻訳書、これ
らの描写があた念がはいっている。さらに冒頭だけではなく
、ストーリーん始まり自体が古書店なのだ。冷たい雨の降る
秋の夕方、「郊外のK駅のそばの古本屋」でH全集を買う、
ただお金が足らず、まず半分を払って後払いにした。残り
を取り置きしてくれと頼んだ、「無口で愛想の悪い主人」
箱書店の親父のイメージ通りだが、「こんな本を買ってすぐ
うる人もいたら、あんたみたいに無理して買う人もいるんだ
ね」、・・・・・まあ当たりまと思う。
学生運動も時期が早すぎて、共産党が非常に重きをなす
ように見える。学生運動が面白くなるのはその後、といって
ないものねだりである。
あゝ、やはり骨董品の青春小説だ、読みたい人はどうぞ、
唐牛健太郎の評伝が読みたいものだと渇望してしまう。
この記事へのコメント
そう言いながらかく言う私も、学生時代に感動した懐かしさで40年ぶりに読んだ私の感想は読み続けるのに苦労しました。なんとも面倒くさい人物ばかり登場人物に集めたものだと感じました。人生の意味や空虚感をこれだけ突き詰めて案じていたら生きるのが辛いだろうなと思いました。誰かの歌の歌詞に、生きてる意味なんて考えてる暇なないのさ、テイクミートゥザホリデー!と言うのがありますがまさにそれが実感です。
やはり、多感な学生時代と老境に入ってからでは感想が違うなと思いました。
解説にも書いてありますが、主人公は柴田翔自身であり様々な登場人物の感じ方もまた柴田翔が迷走した自身の姿かと思います、ひょっとしたら自殺していたかも。
まあ短いコメント欄では書ききれないけど再読してみてこの小説の魅力や欠陥もわかるような気がしました。