宇野浩二の「文学の鬼」の意味は


 i-img900x1200-1582692802n644fh443201.jpg日本の文学史上、「文学の鬼」と呼ばれる作家がいる。
宇野浩二はその一人である、他に日本の作家で「文学の鬼」
などと称される作家はあまり聞いたことがない。さらに、
まず多くの人は宇野浩二の作品はまず読まないだろうと、
といって実は愛好している人も確実にいるから私の浅い知識
でどうこう云えないが、一般にはさほど読まれない作家だと
思う。宇野浩二とは、・・・・・・まずその文学歴である。
驚くべき多作であった、ここがまず肝心である。ただ偏屈
でろくに作品を書かないが「文学の鬼」、ではないのである。


 少年時代を大阪市で送る、明治44年、1911年に21歳で上京、
早稲田の英文科に。数年で中退、生年は芥川龍之介より一年
早い。母を抱え、苦難の生活、その間に近松秋江、広津和郎
を知る。大正8年、1919年に「蔵の中」、「苦の世界」、な
んともユーモアというのか、滑稽というのか、可笑しみ?と
いうべき、「説話体文章」が注目を引いた。この説話対文章
も宇野浩二を理解するための大きなポイントだろう。これか
ら速筆で作品の量産、これを知らないと「文学の鬼」の意味
が把握できない。流行作家になる、宇野浩二が非常な流行作
家であったとは知らない人が多い。ここもポイントだ。「山
恋い」大正11年、1922年、「子を貸し屋」大正12年、「鯛焼
屋騒動」大正12年、昭和2年、1927年の「善き鬼、悪き鬼」
連載中、精神に異常、これを芥川は「バラの花を食べた」な
どと「歯車」?だったかに書いている、とにかく芥川は宇野
文学を高く評価していた、逆に宇野は芥川文学を「たしかに
巧妙だが」とあまり買っていなかった。しばらく執筆不能状
態になる。昭和8年、1933年まで作家活動は中断、しかし
この発病までに短編集10冊、長編3冊、随筆集2冊を出して
おり、流行作家にして超多作だった。

 昭和8年、「枯木のある風景」、「枯野の夢」「子の来歴」
など佳作を続々と発表、復活を決定的にした。さらにその勢い
で「文學界」の創刊に加わる。芥川賞選考委員、「人間往来」
昭和9年、「夢の通い路」昭和12年、「妙な働き者」昭和14
年、信州に疎開、妻をなくした経緯、戦中の困難な生活を
描いた「思い草」昭和21年、よく知られているが30年の精神
的な恋愛の体験を綴った「思い川」昭和23年、また長編エッセ
イ「芥川龍之介」昭和28年、

 その作品数は膨大であり、文壇への寄与も大きい、そこで
「文学の鬼」。・・・・・・作風は精神の発病以前と以後で
一応は区分されるという。前期、後期というべきか。

 前期は滑稽味、可笑しみ、人間の一種の奇怪さを追求し、
それを芥川は「諧謔的抒情詩」と名付けた。泣き笑いの、渋い
ペーソスである。後期は純文学化?したのか精神の、人間性の
探究に重きが置かれ始めた。内面探究、別にもったいぶっては
いないが、人間の真実在の探究である。いわばバルザック的、
人間喜劇、独自の作風となった。 

 宇野浩二の「文学の鬼」たるゆえん、その流行作家時代の
多作、終生の文学的生涯、文壇への貢献、などだろうが、ここ
で再び、昭和2年5月7日付けの芥川の文章、「我が日我が夢」へ
の序文を引用し、その文学の真髄を垣間見たい、芥が自殺の三
ヶ月ほど前である。「青空文庫」にない。


  「我が日我が夢」の序    芥川龍之介

 宇野浩二君の「我が日我が夢」に序するに当り、まず僕の
述べたいのは君の諧謔的抒情詩の存外理解されていないこと
である。宇野君はいつも笑い声に満ちた筆を走らせているた
めに往々戯作者などと混同されやすい。しかし君の諧謔的抒
情詩は君以前にはなかったものである。(恐らくは君以後にも
ないことであろう)宇野君はいつか君自身の諧謔的抒情詩を軽
蔑する口ぶりを洩らしていた。もちろん君の軽蔑するか否か
は自由であるに違いない。けれどもこういう特色は確かに宇
野君以前には誰も持っていない特色である。読者はこの本の
中にたびたび常談にぶつかるであろう。同時に常談の後ろに
ある、恋愛家の歎声にもぶつかるであろう・・・・・」

 以上は前半だけであるが、いかに芥川が宇野浩二を買って
いたかは分かるはずだ。

 余談だが、同じ頃、書かれた「今昔物語に着いて」これは
芥川が「今昔」の真髄を見事に述べた絶品で、私は芥川の
文章では「我が日我が夢」序と「今昔物語に就いて」)が最も
すきであるが、やはり似ている。これも青空文庫にはない。
作業中にもない。そのラスト部分、序文と似ている。

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 もし紅毛人の言葉を借りるならば、これこそ王朝時代の
Human Comedy(人間喜劇)であろう。僕は「今昔物語」をひろ
げるたびに、当時の人々の泣き声や笑い声の立昇るのを感じた。
のみならず彼らの軽蔑や憎悪の(例えば武士の公家への軽蔑の)
それらの声の中に交ているのを感じた。

 僕らは時々、僕らの夢を遠い昔に求めている。が、王朝時代
の京都さえ「今昔物語」のおしえるところによれば、余り東京
や大阪より娑婆苦の少ない都ではない。なるほど、牛車の
往来する朱雀大路は華やかであったろう。しかし、そこにも小
路を曲がれば、道端の死骸に肉を争う野良犬の群れはあったの
である。おまけに、夜になったが最後、あらゆる超自然的存在
は、ー大地蔵菩薩だの女の童になった狐だのは春の星の下にも
歩いていたのである、修羅、餓鬼、地獄、畜生等の世界はいつ
つも現世の外にあったのではない。

 な醒めそねや   さ公達や
 市に立ちたるはたもとに
 鴉はさはに騒ぐとも
 豊の大御酒つきぬまは
 な醒めそねや さ公達や

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 もし「今昔物語に就いて」(昭和2年4月)を絶唱というなら「我が
日我が夢」序も絶唱であろう、それを導くほどの宇野浩二文学であ
った。

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