川端康成の「怖さ」について


 川端康成を怖い人というべきか、どうか。たしかにある種
の怪異さ、妖怪じみた気味の悪さを感じる人は多かった。
あのギョロ目で腹の底で一体何を考えているのやら、無論、
実際に川端康成と相当に接した人はいるにいるにせよ、それ
ほそ多かったともいえないのかどうか。無論、学生時代から
親しかった今東光(今東光は学生じゃなかったが)などは全
く気心を知ってそんな怖さなど微塵も意識していなかっただ
ろうが、川端康成はいかにも心に陰がある、それは不遇とい
うのか、容易ならざる生育が合ったためと思われるが、そう
いう条件でも人の個性はそれぞれだろうし、なんとも、すっ
きりしない川端康成といっていいのかどうか。

 川端康成に接することが多かったのは山口瞳である。戦後
、家が隣だった?という事情もあったはずだ。

 エッセイで山口瞳さんが川端康成について述べているが、
この点については早い段階から接していたという点で随一だろ
う。だから、というわけでもないが、この部分は、あの論議を
呼んだ臼井吉見の「事故のてんまつ」にそのまま「盗用」され
ていたくらいだ。

 ーーーーー

 川端さんをコワイ人だと言う人がいる。とても優しい人だと
言う人がいる。

 私の場合はどうであるかというと、それはもう、いたたまれ
ないほどに怖かった。神経がピリピリしてしまって、まるで、
歯医者のチェアに座っているようだった。

 私は、川端さんを優しい人だという人は、昭和30年代の半ば
過ぎから交際した人だと思う。あるいは、ごくお若いときから
親交のあった人だと思う。

 実に怖い。

 川端さんは私を叱ったり説教したりするのではない。そんな
ことは一度もなかった。そうではなく黙っておられるのである。
どこかを見ていて、不意に、ギラリと光る眼で私を見るのであ
る。こちらが何かを話しかけると顔を上げて注視される。唇が
動いて何かを言いそうに成る。そのまま時が過ぎる。しかし何
も言われない。そうして、そっぽを向かれてしまう。そういう
感じが実に実に怖い。腹の底まですっかり見透かされている気
がする。そうかといって、これも多くの人が書いているように
、私が帰ろうとすると、まだいいじゃないですかと一言言って
ひきとめられる。かくして無言の対座が延々と続く。もし私が
小説の話でもしたりすれば、川端さんのかおはいっそう鋭くな
り、私ははじきとばされて、拒絶されてしまう。

ーーーーーーーー

 ここまで身近に接し、スバリと記した人は他にはいないだろ
う。だから臼井吉見でさえ、盗用してしまったのだが、それに
してもこのような川端康成の人間性を知れば、お付き合いなど
願い下げというところだろうが、この川端のキャラクター、実
に暗いと言える。暗くて怖い、ガミガミではなく、・・・・・。
川端康成の怖さは十分文学的テーマになり得るだろう。

この記事へのコメント

井上 豊
2022年08月12日 18:37
同感です。川端康成の小説には素敵なものも、私が感動したものもあることは言っておかなければなりませんが、病的な作品がけっこう多く、読み続けるうちに気味悪くなってしまいました。この人の性格には二面性があるのでしょう。沖縄のハンセン氏病の施設に関係するある人が、川端さんが患者を差別することなく温かく接してくれたと感謝の言葉を語っていました。こういう特記すべき一面がある一方で、救われない人、地獄の住人という面も感じられ、自殺したのも当然のように思います。この人の生き方と作品については、大きな業績を認めながら、批判的にも考えてゆくべきでしょう。