懐かしの日本jの情景(41))1960年、開通して間もない横浜新道


京浜国道が通行車の台数が一日に2万台に達する状況で、そ
の飽和状態を緩和の目的で作られた「横浜新道」1959年10月
に開通した。要はバイパスだが、横浜市の中心部を避けて白
幡町と上矢部町間を従来の京浜国道に比べ、1キロほど短縮し、
比較的カーブも少なめという有料道路だった。今見ると、ショ
ボイが当時としては最高レベルの有料道路だった。開通間もな
い時期、1960年初めで通行台数は一日6000台を超えたという。
現在の通行台数から比較にならない少なさであったが。そこに
走る車もまだ360ccの軽自動車が多かった、写真は「スズライト」
、なかなかの優れものだった。FFで空冷の2サイクル2気筒、サス
はダブルウィッシュボーンもあって奢っていた。

 
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