『ロビンソンの末裔』1960、開高健、官僚制批判、開拓団描写はいいが、「ですます調」が何か締まらない
開高健、はこの『ロビンソンの末裔』につき、こう述べて云る。
「日本は繁栄しているということにはなっているが、どうし
ようもない、どん底に落ちている人は多い。この作品は悲惨だ
がユーモラスな開拓団社会の中で、激しいエネリギーを持って
いる若者たちは、ただ逃げ出すことしか考えず、老人は死ぬこ
としか考えていない。小説の主人公では、しばしば「頭の人間」
が登場するが、私はここで「手の人間」を描きたかった。
何を書いているのか?「輝ける闇」でアメリカにもその名
を知られるようになった開高健、才筆、ではある。
・・・・・敗戦直後、鍋釜から家財道具一式を持った雑多
な男女の群れをのせて上野駅を出た夜行列車があった。当時は、
貸し切り列車など軍用でもない限り、滅多にない時代だった。こ
れは東京都が疎開と開拓という二重の目的、一石二鳥を狙っての
企図だった。「北海道開拓団」の一行だった。
主人公の「私」も、その北海道開拓団に加わっていた。「私」
は東京都(昭和18年7月から東京府、東京市を廃止)に勤める役人
なのだが、食料事情は日増しに悪化の一途、米や芋などと交換
の衣料も底をついてきた。さらに役所づとめを続けたところで、
旧制中学卒止まりの学歴では先行き、たかが知れている。そこへ
舞い込んできたのが、一見、いいことづくめの北海道開拓団への
誘いだった。別に額面とおりに受け取ったわけでもないが、とに
かく彼(=私)は決心した。東京にいたら空襲で生きているのは難
しいと感じてもいた。
青森までは役所は一応は前宣伝どおりのことをやった。だが
青函連絡船の中で玉音放送で終戦を知った。もう開拓団の計画
もどうなるやら分からない。軍が家も建ててくれる、という話
だったがもうそれも無理は明らかだ。職場も家も捨てて来た我
々はどうなるのか、さらにさらに幾日も後、北海道の奥地の、
予定の場所に着いたらやはり土地はあったが家はなかった。
土地を耕す道具もまったくない。また荒れ地で冬の到来を前に
種も撒けない。
一行はさしあたり農家の納屋にでも置いてもらおうと思った。
「私」は翌春、すぐにもでも種が撒けるようにと、腹を決めて
粗末な小屋を建てた。なけなしの貯金をはたいて材木を仕入れ
た。屋根が合掌造り、基礎は粘土で固める。川で取れるヤマメ
が唯一のタンパク源だった。家族三人だった。また配給のルン
ペンストーブが唯一の暖房だった。
凄まじい冬が過ぎて大雪山の麓にも春が訪れてきた。遠く離
れた町役場に懇願して種を入手し、開梱した土地に種を撒いた。
だが全て失敗だった。土地が酸性土壌でこれを中性化する石灰
もなかった。また水路を通さねばならず、新しい土も入れなけ
ればならない。だが苦心惨憺でも収穫ができるのは三、四年後
となる。もう餓死せよというに等しい。
一同は協議し、道路溝などの工事に政府から予算を出しても
らおうとした。代表が町役場、さらに旭川支庁、北海道庁、東
京まで行った。なんとか予算は幾ばくか下りることになった。
当面はかろうじて生活が可能だが、お先真っ暗に変わりはない、
この荒れ地を前にしてどういきていくのか、・・・・・
タイトル通り、いうならば現代版ロビンソン物語ということ
だ。だが『ロビンソン漂流記』は孤島に流れ着いた男が一人で
島を開拓し、自分の生活を築く、創意と開拓精神だが、『ロビン
ソンの末裔』はシチュエーションは大きく違う、終戦前後の最悪
の日本、満州棄民とはいうが北海道棄民というに等しい。ロビン
ソンというのが妙な、冴えない絶望だらけである。
開高健は『パニック』から官僚批判、同時に人間の逞しい生命
力という二つの要素を組み合わせてきた。『ロビンソンの末裔』
官僚制批判という側面がある。
描写は見事と思うが、もちろん自身の体験でもなく、なにか
データ、資料があったはずだ、厳しい自然を前にした人間の弱
小さ、それが迫真に何か迫らないのは、解説文!にもあるが、
「消化不良」の傾向はあるかもしれない。」それと説話調スタイ
ル、それ自体は悪くないが、「ですます調」はなにか締まらない。
だがその後の「輝ける闇」などに通じる力作だろう、この努力は
その後、花開いたのではないか。
1961年初頭の開高健
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