『中国の眼』玉嶋信義編(弘文堂)1959,実は日本を見抜いている中国


 1959年の刊行、と時代はやや古いようだが、今なお読むべ
きか価値がある、むしろ今だからこそ、読む価値がある本だ
と考える。といって中国も日本も世代はどんどん変わる、過
去の歴史的教訓は忘れ去られ、軽薄な愛国主義が堂々巡りに
なる。日本の政治家を見ても無教養化が顕著である。現在の
状況となると台湾問題だ、だが中国人にしてみたら同胞を
殺害する意味はない、日中戦争で散々やられた日本にまた朝
鮮動乱同様、漁夫の利を与えるだけの台湾侵攻は極端にメン
ツが潰されない限り、行うことはないだろう。日本に特需を
与えるのみであるからだ、歴史的に見て日本と台湾が同盟して
中国と戦うなどという破天荒が起きるはずはない。

 1959年の『中国の眼』はアマゾンでなお余裕で購入できる、
もちろん古書で。内容自体は歴史的なものを集めたものであ
る。この本独自という内容はない。

 副題、サブタイトルは「魯迅から周恩来まで」、日本を熟視
する中国の眼を歴史的並べたものだ。端的に言えなそれは深い
内容だ。日本人は欧米のみをもてはやし、近隣のアジア諸国
を悪しざまに貶すのが風潮だ、それも実は古来の精神的伝統で
また中国人も「この少日本人め」と、要は互いに侮蔑し合って
いるのだ。これは東アジアに限らず、アジア人全般が互いに
軽んじあい、欧米人を崇拝するという卑屈な精神に染まってい
るからである。

 だがこの本の中国人の見識は高い、

 内容は五部に分かれ、「惜別の辞」、「抗日の哲学」、「
敢えて直言する」、「過去を忘れよう」、「叩け、さらば開かれ
ん」である。

 それぞれの内容は日中戦争以前、日中戦争時代、日本敗戦直後
、1954年~1957年の日中関係の新しい萌しの時代、1958年以降の
問題がこじれる時代、にほぼ対応している。26篇が収められてい
るからなかなか多い。

 魯迅の「藤野先生」、孫文の「私のアジア主義」、蒋介石の「
日本国民に告ぐ」、「暴に報いるに暴をもってなすなかれ」、周
恩来の「あらゆる分野の交流を」、郭沫若の「かえりなんいざ」、
毛沢東の「中国は急がない」などの著名なものもあるが、こうし
た広い歴史的視野、歴史的経過の中に組み込むとその意義がさら
に実感されるというところだ。

 だが歴史的な著名人、著名な文章ではなく無名人の手になる
ものが印象深い。

 1905年清朝の依頼で日本政府が出した規則「清国学生取締規則」
に反対して、また清国学生を「放縦卑劣」と侮蔑した朝日新聞の
記事に抗議して焼身自殺した陳天華の「抗議の遺書」、日本によ
る大アジア主義の侵略性を突いた香港大公報記者の戦中の論説「
日本人のアジア論」、終戦直後の石決明の『軍閥という言葉」、

 石決明は「日本軍に直接蹂躙された一般中国民衆の対日感情は
日本人の想像もできないほど深刻なほど悪い、だがインテリ層は
帝国主義としての日本には恨みはあるが、敗戦国家日本の国民と
しての日本人には寧ろ同情を抱いている、・・・・・今後の両国
の友好を話題にされ、困るが、やむなく、無一文の日本の乞食と
中国の貧相なゴロツキが南京路で仲睦まじく一緒に残飯を食べて
いる光景、といって私はお茶を濁す」

 時代は変わったが、せんごの決意も忘れ去られ、またしても
国家主義の跳梁である。中国は飛躍的に発展した、やってないの
は日本への報復だった、とならないよう政治家が適切に対応すべ
喜だがメディアのネトウヨ化、ミスリードで劣情が沸き立つ、で
は困る。過去の教訓を今こそ、なのだが。

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