『版画、ー近代日本の自画像』1961,岩波新書、ー版画の悲劇の歴史を事細かに記述


 『版画』はんが、という本、岩波新書でこのタイトルだけ
で敬遠されそうだ。自分には関係ない、縁がない、親しみも
わかない、・・・・・・だが副題に「近代日本の自画像」と
ある。つまり、幕末から明治以来の世相との関連で版画を述
べている。過去の遺物的な、胡散臭いものと思いがちだが、
そこに悲劇がある。読み始めたら本当に面白いと思う。や
められないくらいに、である。過去の遺物という思い込みは
消えてしまうだろう。なぜ、版画が日本民衆と無縁なものに
落ちぶれたのか、である。そこが悲劇なのだ。

 徳川時代後期から明治初期にかけて、版画は新聞の役割を
果たしていた。「瓦版」とは誰でも聞いたことはあるはずだ。
文明開化に入っても、新首都の東京、外国船の出入りもよう
約多くなッタ横浜、あるいはあの鹿鳴館の風俗など、江戸浮
世絵師の末裔の芳藤、芳年、芳幾、三代広重、小林清親らが
綿密に報道していたのだ。それも、絵が何から何まで説明す
る絵新聞的なものだ、とはいえ、絵新聞の期間は長くはなか
った。浮世絵版画の木版に、石版、銅版も加わり、技術的に
も西欧のリアリズムも導入され、見た目は華やかになったが、
写真製版が導入されてしまった。

 明治21年、1888年の磐梯山の噴火を現地に飛んだ木版画家
の合田清が描き、東京朝日の付録とした。噴火から新聞掲載
まで二週間という当時としては超スピードだったが、これが
事実上最後となったようだ。版画は写真に取って代わられた。

 日清、日露の戦争従軍画家の作品は戦争絵画で新聞を飾った
が、それはあくまで絵であり、版画ではない。絵は永久に不滅
だが、版画は絵画の中のマイナーな部分として物好きが愛好す
る芸術品化した。

 山本鼎が明治末期に創作版画運動を起こしたし、小杉未醒、
織田一磨、森田恒友、石井柏亭などが版画作品を創作した。
それらは文芸誌『方寸』んどに掲載された。だがこれとて、
ごく僅かな期間だった。大正期に一連の画集を発行し、大衆を
とりこにした竹久夢二の活動を境に、版画は会場芸術の片隅
におわれる存在に落ちぶれた。

 版画にまつわる、景気の良くない歴史、仔細が述べられてい
る。克明に、量産できる絵画という版画の強みも近代写真技術
に対抗の術はなかった。長所は短所になってしまう。ついに
敗戦によって版画の歴史は終焉を迎える。

 しかし、真の問題は、と著者は言う、「それ以降の版画のあ
り方こそ問題なのではないか、凝りすぎて一点芸術化の極致を
目指す、文化功労者を内心目指す、目論見にひそむ下卑た精神、
量産こそが版画の意義であるのに、量産を否定しての版画、は
版画の消滅を招いてしまった」

 ますます民衆と版画が無縁になるという悲劇なのである。


 小野忠重  版画家

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