『ぼくはシュティーラーではない』M・フリッシュ、現代人のアイデンティティの不安の表現だが、一種の姦通小説か


 Frisch-Max_Schriftsteller_und_Architekt_in_Männedorf-Com_L04-0017-0004-wikimedia.jpg戦後、スイスを代表する作家になったマックス・フリッシュ
、Max Frisch[(1911~1991)の1954年に発表の著名な作品で
、ドイツ語でのタイトルは「Stiller」邦訳のタイトルは英訳に
よる。最初の邦訳の刊行は1959年、中野孝次訳で新潮社から、
後に1970年、同じ訳で白水社から刊行されている。

 アメリカ人ホワイトはスイスを旅行中に、失踪したスイス人
のシュティラーと間違われ、投獄される。「のくはシュティラ
ーではない、投獄されて毎日、ぼくは云い続けてきた」だが、
誰も信用しない。弁護士さえも「私が得た情報ではあなたは99
%チューリッッヒに生まれた彫刻家で、ユーロカと結婚し、6
年前から失踪しているシュティーラーです」という。

 その弁護士から「真実だけを書いてください」とノートを渡
される。彼は独房で日記風な手記を書き続ける。それがこの作
品の大半の内容で「シュティラーの獄中手記」である。

 シュティーラーにはスパイのような嫌疑がかかっているか
のようだが作品でもその事情はつかめない。さらにシュティラー
の弟も本物と思って手紙をよこし、妻のユーリカまでは夫だと思
いこんでNYから飛んでくる。保釈中の午後をユーリカのホテルで
過ごしたりして、シュティラーは以前はスペイン戦線、というか
らスペイン内乱の兵士だったとか、バレエ団にいたユーリカと結
バレたが結婚生活は幸福とはいえなかったこと、また彼の告訴者
である検事のロルフの妻のビジュレフ夫人の恋人であった、とか。
その意味で実は一種の姦通小説ともいえるのだが、トルストイの
「アンナ・カレーニナ」とはおよそ異質な難解なものであり、ま
他取り立てて筋らしきものもあるとは云い難い。

 だから半ば実験的な難解な小説なの自己の喪失、アイデンティ
ティにまつわる現代人の不安を徹底的に追求した小説と言えるか
もしれない。だからフランツ・カフカ、ヘルマン・ブロッホ、ロー
ベルト・ムシールなどと並ぶ実存的なドイツ語作家というべきか。
大成したスイス人作家といえる。

 
マックス・フリッシュは本業は建築家のようで処女作でスイスで
シラー賞を受賞している。さらに初期に『終戦』、『ドン・ジュ
アン、または幾何学への愛』などの戯曲がある。
 

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