オリビア・ニュートン・ジョンさん、30年に渡る闘病、73歳で死去、際立つ育ちの良さと愛らしさ、親しみやすさ


 1000x-1.jpgオリビア・ニュートン・ジョンさんが30年に渡る乳がんとの
闘病、73歳で亡くなられた。1948~2022,日本で人気が高まっ
たのは1975年以降、それというのもそれまでクリフ・リチャー
ドなどのバックコーラスで下積みだったが1975年Tomorrow,「
オリビア・ニュートン・ジョンのトモロウ」で人気に火がつい
たようで、これをきっかけに一気の上昇、・・・・だった。
日本国内でも人気に火がついた。

 祖父、曾祖父さんに物理学者のマックス・ボルン、法哲学者
のイェーリングという家柄の良さ、育ちの良さ、その恵まれた
家庭で幸福に育ったことの素直さ、愛らしさが魅力だったと思
う。特別な美人とも云えず、歌唱力も特に上手いわけでもなか
った印象は受けたが、とにかく愛らしさ、親しみやすさ、品の
良さ、・・・・・気取らない良家のお嬢さんというイメージで、
それが結果として受けたと思う。歌は特別上手いわけでもない、
とはいったが、独自の魅力は十分あったしキャリアを重ねるた
びに上達したのは間違いない。日本人にも親しみやすく、人気
も高かった。

 人気が沸騰し始めた1975年頃、私の試練の時代、ずっと試練
なのだが、その頃の思い出と重なっている。歌も親しみやすい
曲が多かった、映画も「グリース」30歳で女子高生役というの
も多少無理があったが、持ち味の愛らしさ、親しみやすさは存
分に発揮されていた。1980年のザナドゥ、ミュージカルっだが
これには感心した、最後のジーン・ケリーが登場しての鮮やか
な魅惑的なシーンは忘れられない。

 イギリス生まれ、5歳で豪州へ、バイトでお金をためてイギ
リスへ、下積みからチャンスを掴んだ、その天真爛漫な品の良
さは一貫していた。

 でも30年に渡る乳がん、との闘病、40歳過ぎからだから、ス
ロヴァキアの若いソプラノ歌手、パトリシア・ヤネチコヴァさ
ん、まだ23歳だが乳がんで手術、闘病されている。facebookで
はお二人のトップファンで長くいることができた。思い出であ
る。闘病は辛いもの、私の闘病の半世紀を超えた。

 世界が悲しんでいる。

 気品と親しみやすさ、愛らしさ、間違いなく世界のアイドル
であり続けたオリビア・ニュートン・ジョンさんであった。

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