園山俊二さん、初出社、在職3時間で退職、会社などやめるためにある!

ず「会社」という。といって現実、就職口は基本は企業であ
る。公務員もあるが、企業のようなイヤな雰囲気はないと思
う。あの会社、オフィスの殺伐たる雰囲気は私には耐え難い、
だからサラリーマンでは生きることが出来ない、バイトなら
まだいいが、正規となると耐え難い、・・・・・。「会社を
儲けさせないといつでも追い出す」という具合だから、おち
オチ会社から金など貰う気にはなれないものだ。
さて、あの漫画家の園山俊二さん、もう亡くなられた。松江
高校から早稲田商学部、高校時代は文学書に夢中、文学青年で
もあった。早稲田商学部へ、講義は退屈、さらに肺を病んで休
学、復学後、漫研に。休学以前に漫研に所属していた。しとう
きねお、飯塚よし照、東海林さだお、福地泡介などがいた。復
学して漫研にも復帰、生活は酒と煙草、不健康を極めていた。
これからつづく不摂生が園山俊二さんを短命にしたのは否めな
い。
で漫画には才能があった、在学中にすでに毎日小学生新聞に
連載を持っていた。「がんばれ、ゴンベ」4年の12月で一旦、
連載を休止したら読者から、「なぜ連載が終わった」と圧倒的
な要望というか、毎日への批判が殺到した。卒業後、4月から
また小学生新聞に連載を再開、・・・・・・だったが園山俊二
はなぜか就職しようとしていた。漫画家として認められていた
のに、である。やはり漫画一本は不安があったようだ。
就職試験、大企業で講談社と凸版印刷をうけたがともに不採
用、やむなく、しとうきねおの紹介でTVのCMを制作の小さな
広告代理店に就職を決めた、出社の初日、一人では心もとない
だろうというので、しとうきねおが付き添った。午前中はCM
のためのセットの組み立て、台所の組み立てなどをやらされた
、で昼休み、園山俊二はランチを食べてくると会社を出て、そ
のままもう戻ってこなかった。しとうきねおは園山俊二が戻ら
ないので代わりに午後の仕事を引き受け、さらに園山俊二の消
えた穴を埋めるため、半年以上も、その広告代理店で働く羽目
になった。
園山は会社にとりあえず、と思ったが、いざ仕事となると、
バカバカしくなって、「CF制作も漫画を描くのもヤクザな仕事、
どうせヤクザなら好きな漫画一本で生きた方がいい」と午前中
の仕事で決心したという。
確かに会社で働くのは本当にイヤなものだ、殺伐たるものだ、
オフィスに限らず金偏の工場だって樹脂加工の工場だってその
殺伐さは絶望的だ、工業高校を出て岐阜のプラスチック加工工
場、地元に新工場が出来る、からと採用され、本社工場で研修
中、寄宿舎で首をつって死んだ者が入る、二十歳前だ、娘と
小学校が同級だった。会社なんかイヤナや即座にやめるべきだ。
命をかけるような場所ではない。
だが普通は園山俊二のような天才はない、ないのが当たり前
だ。だが
才能が何もなくても会社がイヤなら出社、初日でも昼休みに
出ていってそのままやめたらいい、と思う。私もその流儀だっ
たと云えなくもない。
会社なんかやめよう、一日働かなくてもいい、出社の日に
リタイアすればいい、・・・・・・その後の生き方は自分の戦
位である。そこからが人生だ。会社に我が身を預ける必要はな
いと思う。
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