『五番町夕霧楼』水上勉と『金閣寺』三島由紀夫、親身の水上勉と見下し視線の三島由紀夫
今さらとは思うが、改めて。三島由紀夫はルーツが兵庫県
の神吉村なのに、妙に関西を忌み嫌い、見下した男である。
『金閣寺』を書いても、そのよそよそしくも見下し視線は
徹底している。主人公への同情、理解という点ではゼロであ
る。だが作品としての完成度は三島の『金閣寺』が上と言わ
ざるを得ない、だが作品の価値はそれだけだろうか、と考え
ざるを得ないのである。水上勉は金閣寺の放火犯を同郷であ
あったのか、よく知っていた。他人行儀になれるはずはない。
『宴のあと』を的確に表現し得た三島由紀夫の筆力はまあ、高
い、だがあくまで作品としてである。主人公への真の理解は水
上勉に及ぶべくもない。
水上勉は越前の出身、京都の寺に小僧で入った。そこで見た
乱脈と腐敗、その意趣返しは『雁の寺』に、映画化もされた。
仏教会は上映反対運動を行った。京都は熟知である。
『五番町夕霧楼』の理解のため、水上勉の京都観を見ておく
ことは意味がある。『五番町夕霧楼』発表の後の言葉だが
「京都という街は、表向きは観光都市で華やいでいるが、
一歩、内側に入ると、実に陰惨な下積みの世界が広がってい
ると感じます。ちょうど下駄の裏みたいなジメジメしたもの
があるんです。しかも古来、都として発展してきたために、や
たら伝統に厳しくてやかましく、、階級的差別がひどい。いま
でもそのワクがかなり厳重です、現代の一種の残酷物語です。
例えば遊郭も、格式があって、その人の職業とか地位で行
くさきが制限されています。この小説の五番町は、北野天満
宮に近い古い遊郭ですが、ここにいる女性もかなり底辺とさ
れています。遊びに行く男もかなり最底辺で丁稚とか下層の
職人です。
私はこの近くの衣笠の等持院にいたために、青春時代、よ
く五番町の遊郭に入り浸りました。行くと、本当に惨めな者
ばかりが集まる場所で、それだけに下積みの人間として青春
を過ごした場所として印象に刻まれています。三島由紀夫の
『金閣寺』はよそ者が見下し視線で冷淡に描きすぎています。
私は私なりに金閣寺放火事件を心から描きたかったのです」
ということで、『雁の寺』での散々な惨めな体験など、京
都の陰惨さもひとしお、である。その水上さんが描く、親身
に描く金閣寺放火事件である。
戦後、もう6年か経つ、戦後の混乱と貧困はまだ日本を支配
し、京のまちにもそれが色濃い。その頃、京都府の北部、与謝
半島にある、ある寒村から19になる娘が京都の遊郭にやって
きた。西陣の五番町で店を張っている夕霧楼の娼婦となった。
貧しい家の三人姉妹の一番上であり、病気の母親の治療費用
を稼ぐために、というおきまりのコースだった。この夕子は気
立てもよく、生娘の魅力もあり、たちまちいい客がついた。
相手は西陣帯の織元、竹本商店の主人で、この道にはとにか
く目がない男ですぐに飛びついてきた。水揚げも済んで、夕子
の体の魅力を知る頃には、男は文字通り、夕子に首ったけであ
り、連日金にあかせて通いつめるようになった。
だが夕子は身請けしたいという男の申し入れを断り、店で一
見の客を取り始めた。するとその頃、櫟田という学生風の若い
男が足繁く夕子に通い始めた。
だがこの櫟田が学生どころか、鳳閣寺(金閣寺)を持つ由緒
ある寺院の小僧だと知った。彼女の周囲が気づく頃にはクライ
マックスに向かって展開し始めていた。
おかみが夕子に櫟田のことをきくと、「お母さん、櫟田は、
私がずっと前から知っていた人なんです。あの人は与謝のお寺
の子供なんです」幼友達といったわけである。
だが徐々に、二人には大人たちの策略がめぐらされ、櫟田は
寺に足止めされ、まもなく夕子は体を悪くして入院する。
その後、二人の純愛を知ったおかみがゆうこの病を櫟田に知
らせた直後、、鳳閣寺は燃え上がった。若い二人はこの炎上を
背景にして悲しい結末を迎えたのである。
なによりも実際に放火犯の僧を知る立場にあった水上勉は三
島のような見下しの冷酷さで綴っていない、それゆえ甘さもあ
るが、完成度の高さはさておいて、どちらが心に染み入るかを
考えれば、それが「五番町夕霧楼」というしかない。
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