瀬戸内寂聴『女徳』1964,女性の終わりない情欲の燃え盛る極北、作者個人に対応の設定


 AS20211122002385.jpg発表は1964年か1963年の末頃か、まだ瀬戸内晴美時代で
ある。瀬戸内晴美は井上光晴との愛人関係に耽溺していて、
その精算のために得度した、それを予見させる内容である。
子宮作家、瀬戸内晴美、のちの寂聴の面目躍如である。まさ
に瀬戸内寂聴自身に対応する設定であると云える。

 「私はもう七十という年にもなりましたけれども、一年に
一度か二度、まだ夕映えのように、ぼおっと心と軀が、華や
いで、染め上がるような気持ちになる日がございます。あの
世で仏罰を受ける地獄におとされてもいい覚悟さえ決まれば
、そういう日に、この世の最後の煩悩の火をあげてみるのも
また悔いないことかもしれません」

 と語るのは、好色一代女と異名をとったほどの、嬌名を謳
われながら、いまは世を捨てて草庵生活三十余年、洛西嵯峨
野の祇王寺に出家して行いすましている智蓮尼その人である。
というとその後の瀬戸内寂聴そのまま、をすでに作中で描い
ていたことになる。

 智蓮尼が語る過去の色ざんげに耳を傾けるのは、この尼僧
の金の心配をすべて引き受けて奉仕している鮫島六右衛門と
女に生まれたことの怖ろしさにようやく目覚め始めた32歳の
亮子である。

 物語は、とにかくその後の作者そのもの、と思わせる設定
がつづくが、智蓮尼の多彩な半生の起伏、波乱を聞き入りな
がら「女が生きるとはどういうことなのか」とこれから先の
いのちを案ずる亮子の姿を、ちょうどあまりの激しさに一息
つくといった形で織り入れながら、、左褄とっては天下の名
妓、新橋の千龍と謳われた尼僧の、恋と愛に明け暮れた激情
を染め上げていく、・・・・・・子宮作家の面目躍如にして
もこれは記念碑的作品だ。

 「人間は、恋は死ぬまで持ちたいもの、情欲は肉体の衰え
とともに衰えますが、情欲と恋は違います、恋は死ぬまで」

 もちろん、大岡越前の質問に答える母親の「灰になるまで」
を想起してしまうが、・・・・・ともかく若い華やいだ微笑
を見せる智蓮尼の若き日を貫くものは、「胸の疼くやるせなさ
」であったという。酔って手当たり次第m男に絡んでからかっ
てみたり、迷わしてみたり、潔白の証と小指の先を切り落とす
ほどの激しさも、彼女の肉体を焼き、骨を燃え立たせる一途な
恋愛感情であった。

 「女の情欲の業の深さに終わりはないのだろうか」と、怖ろ
しさに千竜は出家を思い立つ、

 「困った女子じゃ、生まれつき人並み以上の浮世の女徳を受
けているというのに、そこで生き抜く度胸がない」と老師は苦
笑しながら、ついに彼女の得度を認める。

 だがそれから三十数年、智蓮尼は実役で彼女を守り続ける和三
郎、金では六右衛門、着物は「えり兆」の主人、酒では「酔衣」
の主人と、尼僧の魅力にひかれて離れられない男たちの奉仕で
生きて行くのである。

 これぞ女徳、メリットあり、だらその後の瀬戸内さんの実人生
、心象風景そのものじゃないかとなる。井上光晴はどうだったの
か、人生を終えている瀬戸内さんを想いながら読むのもいいもの
だろう。

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