バイクよ、公道のゴミとなるなかれ!
確かに一面、バイクがブームというのも事実で、バイク新
車の納車がまさに困難な状況らしい。もしもう少し若ければ、
せっかク苦労して取得した二輪限定解除があるのだから、適
当なバイクに乗りたい気持ちはある、昔、ホンダのGL400、
CX400、のツインスティッドOHVの縦置きV2,シャフトドラ
イブの特徴あるスタイルに憧れてぜひとも乗りたかったが、な
にせ貧しく免許はあれどバイク買えず、ついにオンボロ、ホー
ク250、中古でバイクライフが終わってしまったようだ。もは
や乗れない、乗らないのは仕方がない。
個人の事情はさておき、私が車で毎日、走って本当にバイク
の存在感がないことに唖然とする。もちろん、台数が昔と比べ
、格段に少ない。女性が数多く、スクーターで通勤していた頃
のバイクの精彩、その昔、男子大学生の最大の関心事がバイク
であった時代、街はツーリングのバイクで溢れ、ピースサイン
の嵐だった。だがいつしか、膝摺りバイクの横行、三ない運動
とかでバイクの楽しさも蹂躙されていった、レーサーレプリカ
では色んな意味で楽しめるものではない。世界的に所得水準も
上がり、皆クルマに乗るのが当然の時代である、バイクの存在
感が薄くなるのも当然だろうが、そのバイクの存在感の低下が
そのままバイクの行動における、ゴミ化の原因となっていると
思えてならない。
原付一種の最高制限速度が古来から変わらぬ時速30キロ、
であるために車のドライバーは原付一種が走っていたら、全く
ヒヤヒヤで抜かねばならない。これがまずゴミ化の大きな要因
だが、またスポーツバイクも昔ほど速度を出さない、違反が怖
い遵法精神かも知れないが、スポーツバイク、250cc以上のバイ
クのダラダラした走りは大いにバイクのゴミ化に貢献している。
車など追い抜いてあっという間にはるか先を行く、という風情
が見えないのである。
バイクも行政上の法規制が厳しくなるのみで、さらに精彩を
欠く要因となっている。またプライスも本当に高い。その存在
意義がいまいち見いだせないのである。
バイクが車に乗る前の一時的なものであっては行けないと思
う。バイクの楽しみは生涯続いて然るべき、なのだが容易に生涯
、乗り切れる、乗って楽しめるバイクがないのでは、と思わせる。
本来楽しさが、自由さがバイクの売りである、公道を走るバイク
にそれが感じられないのだ。
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