『宴のあと』プライバシー侵害裁判、東京地裁判決について、三島由紀夫の大不満
三島由紀夫の作品で世界的に最も高く評価されている、と
いえば『宴のあと』に尽きる、東京都知事選に革新陣営から
出馬した有田八郎、戦前からの官僚出身での保守政界で長い
キャリアを持つ人物だが、政治的な事情で保守からの出馬は
かなわず、革新陣営からとなったが、選挙戦は泥仕合、とい
うか有田への中傷攻撃が激しく落選した。まあ、有田八郎と
つきあい以上の料亭の女将が事実上の主人公だが、三島はよ
く調べ上げたものだ、作品として国際評価で「中年女性の表
現でこれほど見事なものはない」として多数の言語に翻訳さ
れている。東大法学部同期で学籍番号が一番違いの早川武夫
教授(英米法)は三島の文学を味噌糞に(早川先生は文学を
出て法学部に再入学)こき下ろすが、私も同感だが、『宴
のあと』はどう見ても悪くないと思う。
で、誰がみても有田八郎と愛人関係の料亭の女将を描いた
ことは明らかで、これで「私生活が不当に暴露された」など
と有田が三島を民事訴訟で訴えた、訴訟については東京地裁
でほぼ論争は出尽くしており、判決も最高裁も地裁判決を踏
襲している。
で昭和39年、1964年の9月だったか、東京地裁判決、三島
由紀夫は判決の法定には出ないつもりでいた、「負けた時の
写真はとられたくない」としてだが、出版社側、つまり新潮
社のから判決に三島本人が出ない訳にはいかない、と誘いも
あり、さらに予想として特に勝ち負けもなさそうな判決が予
測されてもいたのだった。なお新潮社は『宴のあと』裁判で
三島を一貫して支援しており、最高裁判決後、読売新聞に
三島由紀夫が寄稿した文章の最後で「長く支援していただい
た新潮社に感謝いたします」との文で締めくくっている。
つまり有田八郎の主張のプライバシーの権利は認めるが、
三島由紀夫の『宴のあと』はそれと特に侵害するものではな
い、という双方に配慮した判決である。ところが現実の判決
はかなり明確に三島敗訴という形になってしまった。
被告席で判決を聞いた三島由紀夫は「あれ!」と思ったそ
うだ。単に予想が裏切られたというのみならず、開いた口が
塞がらないというくらいの思いだったという。
いうまでもなく三島由紀夫の『宴のあと』は東京都知事選
に出馬した既成保守政治家の有田八郎、政治状況で革新陣営
からの出馬で激しい組織的な攻撃を受け、敗北した、その
有田の裏面を描いたもので「中央公論」に連載され、新潮社
から単行本で出版された。これが有田の云う「プライバシー
の侵害」ということで、「プライバシー」という言葉を日本
に広く定着させた裁判でもあった。
プライバシーの権利の侵害を申し立てるというのは、日本
では全く新しいものであった。従来なら名誉毀損となるとこ
ろを「プライバシーの侵害」という形で訴えたことである。
これは戦前からの外交官としての有田のキャリアからくるも
のであったが、「名誉毀損」のほうが裁判はやりやすい、と
しても民主主義時代に一般向名人の生活、ことに人に知られ
たくない秘密は、私生活を守る権利は「名誉毀損」とはまた
異次元でもありかくして「プライバシー侵害」という世間の
耳目を引くものとなった。この新しいコンセプトでの提訴は
有田八郎のある意味、賭けであったようだ。
結果として東京地裁判決は「プライバシーの権利」を権利
として認めたという、「歴史的な判決」を下して、まあ、世間
の注目を集めたのである。
しかし、単に「他人の私生活の暴露」プライバシーの権利
侵害と行って、ことは文学作品である。普通のケースではな
い。いわゆる「文学裁判」である。伊藤整と出版社代表が、
「チャタレイ裁判」でわいせつで刑事裁判にかけられrたこ
戸に続くと云えば続くものである。裁かれるのは三島由紀夫
という人間自身でなく、文学作品としての『宴のあと』である。
本質はその一編の小説こそが被告と言えた。三島はそれを書
いた作者、にとどまる?三島は被告というより実は『宴のあと』
の弁護人と云うべきあった。原告、裁判官とともに被告となっ
た『宴のあと』を詳細に検討し、結論を出すという立場であっ
たと云うべきである。
で、敗訴の三島由紀夫
「でもね、日本の裁判所はあいも変わらず、チャタレイ裁判か
らずっと文学作品の真の評価なんてまるで出来ないね。いつも、
重箱の隅をほじくるような指摘をして、猥褻だとか、不快だろう
とか、全体の文学の価値から部分を見る、考えるなんて出来ない
んだ。部分にケチを付けるのがまた人情論で、不快の念を与えた
のは可哀想だ、とか。芸術作品の判断は全く判決には微塵もなく、
芸術を見ない、見る能力自体が備わってないんだ、情けないね」
三島由紀夫が強調したのは『文学作品は全体を見て部分を判断
すべきだ」ということである。
三島 「私は歴史と小説の区別ということを考えているんです」
その違いはなにか?三島によると歴史は事実が中核であり、それ
を外側から思想が解釈している。だから唯物史観、宗教史観、文学
美術学的史観、皇国史観、西洋的史観などさまざまの史観が生まれ
る。あくまでも止めるのは事実だ、だが文学作品は作者の思想こそ
が中心である。その外側を事実で、クリスマスツリーのように飾っ
ていく、ものだという。
「モデルにそういう事実が数多くぶらさがっていることは事実で
す」
そういう事実とは、小説がいくらフィクションといっても、ある
程度の事実性に基づくリアリティーがないと成り立たないから必須
だという。
「牛込の変なところから地下鉄に乗って書いたって人は信用しない
ですよ。作中人物が地下鉄に乗る場合は、現実に地下鉄がある場所か
ら出なければ、地下鉄に乗った、とは書けないでしょう」
という意味での現実であり、事実だという程度だという。
「人物は現実に即さねばならない、それが小説のリアリズムです。
本質的ではないが必要なことは確かだ」
芸術性は無視されたが、しかし一面で「事実と想像を巧みにませ合
わせ、発表された時間的要素」と判決文にあるところから、多少は芸
術的な評価も行って入るわけである。
「しかしね、時間的問題ということで、芸術の問題をはなれてはおか
しいですよ。事件が起こってあまり時間が経ていない、新しいと云うが、
プライバシーに時間要素は論理的じゃない、それなら事件の最中ならい
いいのか、あるいは百年後ならいいのか、となるでしょう。詳説を書く
時点と読まれる時点の時間的差異も問題になるはずだ。プライバシーで
時点云々はおかしい、要はお気の毒です、という人情論だよ。この判決
自体が、まあ小説ですよ」
私なら地裁判決は『宴のあと』付録だというところだ。
ともあれ判決後、三島由紀夫は憮然たる表情で不満だった。
「もちろん控訴します、しかし日本の裁判にはロジックがない。
もともと『喜びの琴』事件以来、ロジックなんてないと思ってます
から。裁判所はそういう社会をよく反映していて全くロジックが通
らない、呆れました、また裁判は長いね」
結果として三島由紀夫の考えは無視され、空回りになったのは否め
ない。法律家などそういうもの、ということだろう。小説の文学と
しての芸術性などの価値判断を最初から裁判所はやる気はない、ので
あるから三島がいくら力説しても通じないのである。まったく、噛み
合っていない。
「私も確かにプライバシーの権利は認めます。当然、あるはず
ですよ。しかし文学作品は根本的な約束は読者との契約です。作者
と読者の契約です。それを無視して読まれたら芸術など成り立たな
いですよ。そういう判断は読者をバカにしています」
「天に恥じない芸術的確信で書いた」と言い切る三島由紀夫も
裁判所の形式論ではほとんど、その熱意は無視されてしまった。ま
だ高裁、とながくつくのでまさにウンザリの三島だったが
「今度の判決で、この問題は個人を離れ、言論人全体の問題に
なったと思います」
ここまでは、多少、問題はあっても、至ってまともな三島由紀夫
であったが、ほどなく楯の会など暴走。
このような三島の見識がその数年後、奇妙に瓦解しての乱入割腹
はいただけない云うしかない。早川先生が「愚劣の極みだが非武装
中立なんていう連中には頂門の一針か」ということである。
『宴のあと』東京地裁判決後、「控訴する」と判決に大不満の
怒りをブチまける三島由紀夫
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