『被虐の系譜』1963、南條範夫(講談社)武士道残酷物語、封建領主と家臣の奇怪な関係


 1963年に講談社から出て現在は講談社文庫となっている。
南條範夫の実は短編集で代表タイトルの作品が「被虐の系譜」
である。このタイトルとなった「被虐の系譜」はすごい作品
と言わざるを得ない。武士道残酷物語である。

 発端は、作者が飯倉佐一郎という人物から、家に伝わる古
文書を譲りたいと持ちかけられることから始まる。別に、あ
まり気乗りもせず期待もしないでその家にでかけたが、その
飯倉家とは信州矢崎の堀藩の家臣の家柄で、祖父の飯倉進吾
は明治になってからの堀家のお家騒動の立役者となった人で
るという。

 そこで入手した二、三の古文書と飯倉佐一郎が父親から聞い
たという祖父にまつわる事件の話をもとに、作者は飯倉家の
祖先の系譜を辿っていく。そこで作者は封建領主と家臣との間
の、あまりに異様な被虐症、というのかマゾの快感とでもいう
のか、奇怪な関係を描き出す。

 飯倉家で代々書き継いだ日記には、簡潔に事件の要点だけが
感情を交えず書かれていた。だがそこに、驚くべき事実が書か
れており、作家の想像力を掻き立てた。

 主君の宗昌と小姓の飯倉久太郎と愛妾の萩の方とのあいだの
、錯綜した性的な関係が明らかにされる。元禄の某年某日の記
述は「殿御思召しにより、羅切(性器切断)」とあつ。「宿直、
拝領」の文字のあとに、「御汚物拝領」、身ごもった荻の方を
「殿様思召し」で賜ったというのだ。

 ついで写本「矢崎迷名草」に俗説混じりで語られた、飯倉修
造夫妻と二人の娘とを死に追いやった悲劇がある。これは古く、
松之助映画に仕組まれたのを見たことがあるという。「矢崎
名草」には、御家騒動が多分に誇張され、作者はそれを作り話
と想像もしたが、同時にそこに述べられる惨劇は実際、存在し
たとも見ている。

 最後に、祖父の事件では、妻を犯されつつも、あくまで旧
領主を救おうとした進吾に、奇怪なる被虐の、マゾの快感を
てしまう。

 歴史が少数のサディストと多数のマゾヒストの群れで構成さ
れている、という真相、深層である。だがそうと断定する手法
が本当に正しいのやら、・・・・・・

 しかし、ちょっと圧巻というべき作品である。

 余談  この作品発表後、インタビュー

  先生(国学院大学経済学部教授)もやられてますね?

 南條 「一年で7ヶ月も休みだよ、こんないい商売は
    ないね。生まれ変わってもやりたいよ」

   随分と晩婚でしたね?

 南條 「別に結婚しなくても良かったが、ばあさんが
    目の黒いうちに、籍にいれてくれ、というから」



 「被虐の系譜」の映画化、「武士道残酷物語」

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