唐木順三『千利休』筑摩書房、「わび」の考察、あまりに哲学的すぎないか?


 2810.jpg私が千利休論を書いたところで本にはならぬ、でもなぜ秀吉
が千利休に切腹を命じたのか、古来、この問題ほど研究され、
論じられた事柄も他に見出し難いほど、興味と関心を惹かずに
おかない歴史上の謎である、私は秀吉の立場になって考えれば
実はさほど難しいことではないと思える。秀吉自身が別に学問
的で哲学的な人間でもない、学もあるとはいえない。切腹を命
じられるほど、千利休は秀吉の側近だったわけである。茶は多
くの人、大名なども虜にした、イヤが上でも盛り上がる千利休
の権勢、それが端的に云えば精神が不安定で異常をきたしてい
た秀吉の気に触った、その直接的な事案がったかどうかは分か
らないが、当たらずと言えども遠からずであろう。超緊密な
関白にまでなった親族さえ死に追いやった秀吉である。

 で、・・・・1958年に筑摩書房(この出版社は臼井吉見ら
と唐木順三らが共同で設立した会社である)から出ている
唐木順三『千利休』、非常に内容は高尚である。哲学的だ。

 しかし千利休は日本的な美の世界の歴史上、王者である。
が同時に伝説の人物でその真の姿はわかりにくい。だから多く
の作家、歴史家たちが多くの千利休論を書いているのである。
なにせ芭蕉や永徳と違って、ある瞬間の「峻厳ある空間」の創
造の実現が茶の世界なのだから、その王者となれば容易にその
本質をつかめるものではない。

 唐木順三1904~1980,京大卒が「わび」を考察することで、利
休の人物像とその文化史上の位置を捉えようとする。

 「わびは対比によって起こる」というのが唐木の考え出した
説、創設である。浮沈極まりない乱世に会って、沈の方を取る
という精神である、という。最初から難しい気がする。

 それは極小の量によって極大の量を批評する。秀吉の豪勢、
贅沢に対立するのが、利休の「わび」である。だからこの二人
の対立は絶対に避けられない運命であるという。

 博多に伝わる利休の秘伝書『南方録』、元禄成立の偽書との
考えもあるが、この本は利休の精神を「わび」に単純化しすぎ
ているという。一面敵解釈との批判を免れない。

 秀吉と利休の関係は、より接近することでかえって反発も生
じるという微妙なものだった。唐木は、山崎の妙喜庵内に利休
が作った僅か二畳の待庵に、利休の思想の結晶を見て、秀吉・
利休の容易ならざる関係の頂点を見るという。世間を極小に限
ったこの空間で、利休の厳しく圧縮された一動一所作による点
前を受けた秀吉を想像する。待庵には、厳しい造形自体による
「わび自体、わびの極北」が形成される。

 これを「わび」の対比と云うなら、矛盾概念である。いわば
「わび」が消え失せようという危ういところで初めて成立する
という、矛盾の中に定着した「わび」それ自体である。

 ここに、唐木の利休観の神髄がある。唐木によれば、「わび」
とは根底に無の世界を持たないところに限界があるという。そ
れはあくまで、有と有の対比の中で生じるm,本性としての
「気取り」があり、無の芸術、空の様式が象徴として出現する
ことがない。

 その点で利休は、秀吉への批評的存在を超えることが出来な
かったという。これが唐木の利休批判の根源である。創設とし
てはなんとも魅惑的と言えるが、さて、どうだろうか。そんな
難しい問題ですか?と聞き返したくなる。

 とはもうせ、そんな小難しい内容ばかりではなく、戦国の
乱世に堺という自由都市の豪気さをもって生まれた利休が、
秀吉という絶対者との協調と対立の中で自分を貫徹した姿が
鮮やかである。

 「命が惜しくて茶の湯は出来ぬ」

 唐木の利休象は唐木のものだ、それぞれの利休象があってい
いいと思えるが。

この記事へのコメント