近代中国建国から考える「一つの中国」の「中国」とは?中国共産党絶対は無理筋

題目を繰り返しこれを「何をやろうが勝手」の口実としてい
る。そもそも「中国」とは云ってみても、清朝までは国名ら
しい国名はなく、王朝名が全てであった。日本人が「支那」
と言うのを非常に嫌っていて、自らがが決めた国名として
「中国」をと梁啓超などは主張したのは周知の事実だ。
梁啓超らが自ら決めた国名とした「中国」、もし中国共産
党が「一つの中国」というなら「中国」とはそもそも何か、
である。近代中国の始まりは孫文の辛亥革命である。いかな
中国共産党も孫文の革命は高く評価している、というより共
産党が何を言おうが、孫文の革命無くして何も始まらないわ
けである。1911年のことである。その時点で中国共産党は影
も形もない。中国共産党の創始は1921年である。
抗日戦争の勝利者は中国国民党とされ、もちろん国共合作は
あったが、である。八路軍の抗日戦での功績は大きい、子供
の頃、家に来ていた大人たち、農家だったが中国戦線の経験
がある人が大半だった。「八路軍は強いので逃げていた」これ
は直接聞いた。だがあくまで国共の共同である。
一つの中国の「中国」とおは中華民国なのか、中華人民共和
国なのか、実は毛沢東は中国本土制圧後、1949年、従来の「
中華民国」を継続使用したかったようだ。だが蒋介石が台湾で
中華民国を継続、というので断念したが、毛沢東には痛恨であ
ったという。
孫文の革命の成果を引き継ぐのは中華民国か、中華人民共和
国か、1965年にフランス共産党機関紙のインタビューで「人生
での失敗はありますか?」に対し、「国名を中華民国にしたか
った、中華人民共和国という国名が失敗だった」
これは台湾側を救った、もし毛沢東が「中華民国」という国
名を強引に継続していたら、蒋介石に立つ瀬はなかったはずだ。
ともかく「一つの中国」の「中国」は「一つの中華人民協和
国」ではあり得ない。中華民国、孫文の伝統を引き継ぐもので
なければならない、
ならば「一つの中国」を口実にしての台湾侵攻は「核心的
利益」どころか「確信的大損害の大愚行」となるしかない。
軍事演習ならいくらでも出来る、だが現実の戦争は軍事演習
ではない。中国は経済的な繁栄を失う愚行以上の惨劇に成る。
中華民国を受け継ぐ、台湾政府の打倒は孫文の精神の冒涜とな
る。冷静な対応が望まれる。
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