旧統一教会への日テレの「名誉毀損」を考える、あまりに悪意に満ちて作為的、宗教の自由は侵されてはならない


 d_15473760.jpg実は私は旧統一教会に批判的な考えを持っていた。大学時代、
原理研が「生長の家」の学生組織、日本青年協議会(日本会議
創設の中枢、その出身者は政権中枢にも何人もいる)と組んで
左翼学生の大学からの追放、だから原理研と乱闘したこともあ
る。・・・・・しかしである、日本のメディアはあまりに扇情
的で世論誘導、大衆操作のプロパガンダ拡声器であり過ぎる。
誰が何と言おうと、宗教活動の自由が侵されてはならない。国
内メディアは戦前から宗教袋叩きの悪しき伝統がある。官憲の
弾圧に悪ノリするのである。その例は数しれない。悪玉として
槍玉に挙げたら思考停止、ひたすら弾圧助長である。大本教は
その最たるものであり、判決も出ないのに宗教施設をほぼ破壊、
教祖の墓まで掘り返す、片っ端から不当拘束、拷問、かくして
後継者とされた出口日出麿さんは精神に異常をきたし、戦後も
活動が成約された。戦後、すべて免訴となり、大本教の弁護団
ふぁ不当逮捕、拘束、数しれぬ拷問、教団施設破壊、教団への
名誉毀損など国家への損害賠償請求を話し合っていたら、出口
王仁三郎が「国から金を取ると云ってそれは貧しい国民から
金を取ることになる」と損害賠償請求は一切、放棄した。弁護
士たちはたちは感歎したのはいうまでもない。ともあれ、宗教
弾圧の悪しき伝統は古来であり、明治以降もキリシタンは容赦
なく弾圧され、人権侵害では済まない、強制移住、拷問、棄教
の強要、戦後のPL教団、戦前の「ひとのみち」教団は最も国家
神道にすり寄った教義だったが、これも教祖の私行をでっち上
がて弾圧、天照大神を「太陽の神」が不敬とされたというから、
なんでも因縁、口実を付けての弾圧は常習化していた。

 戦後もメディアはその伝統を受け継いでいる、大本弾圧では
今の毎日新聞も「邪教、大本教についに鉄槌」と大見出し。
逆に既成宗教、神社神道や葬式仏教には批判はない。「死ねば
誰でも仏弟子です」と「戒名」徴収も確実過ぎる収益源にせよ、
奇怪な話だが、メディアは基本的に一切、批判はしない。

 たしかに過剰な寄付を信者に行わせる宗教は現実ある。天理
教もピンハネ宗教と言われたくらいで創価学会の池田会長が
武闘時代だが「天理教を総攻撃せよ」、「家を売ってこい、田
んぼを売ってこい、まるで強盗です!」とかく問題になりやす
いが、何処までが宗教の自由に収まるか、公序良俗か、とは
概括的過ぎるが、現実、資金が必要はやむを得ないことでそれ
は信者の自由でもある。寄付するしないは自由のはずだ。

 ともあれ国内メディア、読売新聞は戦後、立正佼成会を攻撃
し、立正佼成会も不買運動で対抗し、読売に報復したこともあ
る。多少、新参者とメディアがみなせば、邪教、悪徳と決めつ
け、批判を越えた中傷記事を展開するのは国内既成メディアの
、いあば常道だったが


 今回の旧統一教会への攻撃は主にテレビ、昼の番組でなされ
ている、連日の「旧統一教会」攻撃、信者だったというもの
を出演させ、一方的な教団批判、中傷発言を流し続ける。批判
的論者を出して、これまた、である。

 批判される部分はあるが、日本のメディアは往々にして羽目を
はずして一方的報道を行うという悪癖が日テレの「ミヤネ屋」な
どで連日、暴発しているのは公共的性格をもつはずの放送の枠を
明らかに踏み外してるし、侵されてならない宗教活動の領域まで
妨害中傷の数々、あまりに作為的な一方的な攻撃プロパガンダで
ある。いつまで続くこのような状況がつづくのか、である。そ
ろろも、云いたくないが教団も日テレなどへの名誉毀損での告訴
を行うべき時期かもしれない。原理研とかって乱闘した私が見て
も、民主国家にあるまじきゆるされない放送内容と考える。

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