井上靖『化石』1967,井上靖の現代小説ではやや暗すぎる、実験的だが、成功していない
この頃、昭和40年すぎ、井上靖は作家として功成り名遂げ
ていた立場であった。もう十分すぎる作品を書いていた。現
代もの、戦国時代物、中国物、西域物、平安・歴史物、自伝
物、よくぞ代作もなくここまで書けたものと感心する。たし
かにそれは濫作でもある、中身のない、ちょっと首を傾げる
ような無内容なものもある。現代ものの作品にその傾向があ
った。「母性思募」の文学理念はまことに幸福な人だったと
思う。・・・・・・ともかくこの時期、1967年、昭和42年
は毎日新聞で「現代日本の小説」とかいう著名作家のシリー
ズ企画が始まっていて、井上靖は「夜の聲」という小説を
連載していた、私は、正直、全く落胆した、ネタがもしや尽
きたのか、とさえ感じた。その前の連載が朝日新聞での、こ
の『化石』である。講談社からさっそく単行本で出ている。
その後、角川文庫版も出たがカバーのデザインが暗緑色の
暗いもの、「化石」というタイトルからして暗いのだが。
多少、ここで実験的な小説と考えたのかもしれない、そ
れは次の連載『夜の聲』でさらにエスカレートする、結果は
やや失敗である。
ストーリーの設定は暗い、主人公は初老の実業家で、秘
書の若い船津を伴ってパリに出かける。そこで腹部に妙な
違和感を感じ、レントゲン診断を受けたら医師は手術不可
能だと秘書には告げる。この時期、まだガン告知は一般的
でなかったが、それは日本であり、外国、フランスでもそ
うだったか、ここが疑問だ。だが電話の行き違いで本人も
知ってしまった。
ガンと知った本人は余命は一年か二年と覚悟して、秘書
にもその気持ちは述べず、「全く新しい生活」をしようと
決心した。心境の変化というもの、自問自答を繰り返し、ブ
ルゴーニュの史蹟めぐりや、マルセラン夫人との交際、意気
投合、やがて帰国し、家族、会社の人たち、事業、故郷など
心の旅を遍歴する。それらの伴奏役は、何も知らない秘書、
若い秘書の青年である。
いわば、もう命の断崖絶壁、余命幾ばくもないという、
端的にいえば限界状況ではある。外界からの波乱万丈では
なく内面の限界状況、だがこの世では数多いケース、ガン
である。井上靖流の落ち着いた低音の文体で主人公の心理
が描かれていいく。
最後近くで手術可能という診断が出て、これも不自然と
云えば不自然だが、先行き不透明で小説は終わる。
基本的に暗く面白からぬ筋立てである、内面描写にあくま
で重点だが、あまりに一本調子で単調すぎる。ただし暗い中
にも甘美な人生情熱はあるし、ユーモアある秘書との問答な
どは、一面的だが楽しめる。ただ設定自体が退屈で医療への
もしや誤解も散見される。「そんな単純じゃないよ」という
気もする。井上作品では結局、不人気作品となったと思う。
自作の「夜の聲」で実験小説はさらに続いて、もろくも失敗
した。
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