『定本 高浜虚子』1953,水原秋桜子、虚子の門下になってから訣別までの自伝
水原秋桜子、高浜虚子とも俳号の最後が「子」である。こ
の本はまだ入手可能だと思う。2000年に永田書房から再刊さ
れている。題名は人物論みたいだが、実際は大正9年、1920年
に秋櫻子が虚子の門下となってから昭和6年、1931年に訣別ま
での10年余りの秋桜子の自伝である。ちょっと散文の勉強をし
たかったのか、と思える実名小説めいている。でも、ここで
描かれる虚子はわりと上手く描かれている気がする。だから
、このタイトルも的外れでもないだろう。
秋桜子は大正7年、1918年に東京帝大医学部を出て研究室の
仲間の薦めで俳句を始め、最初は松根東洋城の門下となったが、
虚子の俳句思想に共鳴し、仲間とともにホトトギスに移った。
大正9年、1920年の春に虚子の選ぶ雑詠に投稿、難関とされ
ていた「ホトトギス」の雑詠欄に四句が入選し、友人たちを驚
かせた。同じ研究室仲間だった高野素十は最初、俳句を小馬鹿
にしていたが、途中から俳句を始め、後に虚子の高弟となった
挙げ句に秋桜子と対立した。このいきさつも興味深く面白い。
秋桜子は日記をつけていたのか、あるいはC俳句帳から思い
出したのか、ホトトギス一派の動向が年を追って詳細に書き留
められている。句会や吟行、あるいは虚子をめぐる多くの行事
など、大正末期から昭和初期にかけてのこの連中たちの楽しい
、と見える交歓が描かれている。俳句というのはそれ自体より、
もっと交際、行事に根ざす楽しみであるということがよく分か
る。それだけに対人関係はうるさくもあり、派閥的なものや親
分的な人物も生まれてくる。
結局、虚子のあまりの「客観写生」一点張りの考えに、秋桜子
がどうにも飽き足らなくなり、「輝かしい主観を俳句の本態とす
べき」との主張から「ホトトギス」を離れ、「馬酔木」に依って
の俳句活動となって一派をなすが、この本からはその表向きの主
張の違いより、あまりに独裁的で横暴な、自我の強い虚子への
叛旗としか思えない。虚子の句を挙げて対立を説明しているが、
それより人間関係の対立が印象に残るだろう。ホトトギス巻頭に
載る争いなど、それで俳人の格付けとなるという、あまりに下ら
ないということだろう。
秋桜子が雑詠句評会のメンバーの厳選を唱え、素十が「君が大
をなすには清濁併せ持たないと」というと秋桜子が「濁を持つく
らいなら大をなす必要はない」として、まあ、クセが皆あるもの
だ。
基本は実名小説的で時代背景をよく映し出して面白い本だとは
思えないことはない。
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