東洋の魔女、半田百合子さんの離婚理由「夫の~がどうしても許せなかった」の~とは何か?
1961年、欧州遠征した日紡貝塚、女子バレーボールチーム
は24戦全勝の快挙を達成、そのあまりの強さに「東洋の魔女」
と、実は褒め言葉でもないが、通称されるにいたった。前年
の世界選手権では日本はソ連に敗れ、準優勝に甘んじている。
この欧州遠征から無敗街道が始まった、・・・・・それから
1964年の東京五輪、メンバーには日紡貝塚以外のチームか
らも倉紡倉敷から近藤、ヤシカから渋木の2名が選ばれたが、
他はすべて日紡貝塚のメンバーであった。日紡から10名、他
2名である。で、ほぼ試合出場は日紡貝塚の選手であった。
決勝の6名こそはコアメンバーである。
河西昌枝、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子、
磯部サタ、・・・・・だったと思う。誰が特に中心ともいえ
ないが、谷田、半田、宮本は特に光った。
で栃木県出身の半田百合子、谷田とともに回転レシーブを
体現したような名選手だった。
で半田百合子、メンバーでも引退後、最も早く結婚した。
昭和39年、1964年10月の東京五輪、その翌年、1965年2月に
半田百合子さんは結婚した。ずいぶんと早い。
だが見合いで知り合って即座にではなく、旧知であった。
1965年暮に半田さんは獲得金メダルや身の回りのものトランク
に詰め込んで大阪府枚方市岡谷の2DKアパートを出た。夫婦で
最後に交わした言葉は
「今度お嫁さんをもらったら、もっと優しくしてあげてね」
「わかった、元気でやれよ」
であった。半田さんはその足でまっすぐ東京都世田谷区玉川
瀬田町の女優、淡島千景さん宅に身を寄せた。
知り合ったのはかなり前である。男子実業団バレーボールの
松下電器チームと日紡貝塚チームがインドネシアに招待された。
その時、松下チームに亭主となった松岡政信さんがいた。離婚
時で松岡さんなは29歳であった。半田さんはそのとき、松岡さ
んのキビキビした姿に惹かれた。以来、二人の交際は始まって
いたのである。もう東京五輪前に結婚しておこうか、とも考え
たが、松岡さんが「折角のチャンスだ、出場して金メダルを狙
いなさい」という言葉で励まされた。結果はまさしく金メダル、
五輪後の中国遠征、帰国、松岡さんの発案で関西テレビでの
テレビ結婚式のスケジュールも決まった。純白のウェディング
ドレスの半田さんの姿が全国に放送された。媒酌人はバレー
ボール協会会長の西川政一氏、云うことがない結婚式、で、こ
レでは離婚など考えられない、とみなに思わせたものがあとい
間の破局となった。
三日間、那須に新婚旅行、枚方の2DKに住まいを定め、帰っ
てから翌日すぐに松岡さんは松下電器の営業の仕事に出た。
半田さんは主婦業に千年と相成ったが、・・・・・・。
栃木女子高校から日紡貝塚入り、あの異常なまでの厳しさの
鬼の大松のトレーニングにも耐え抜き、名選手となった。だか
ら「私からバレーボールを取ったら何も残らない」と云うほど
で、それもやむを得ないことであった。だから花嫁修業的なも
のは皆無で、結婚後、料理学校に週三回通ったり、なれぬ手付
気の手料理も松岡さんは「うまい」といって食べてくれた。松
岡さんは扇風機部門営業の主任で毎日、帰りは遅く、午後11時
を過ぎるのが常だったし出張も多かった。厳しい営業職である。
半田さんは主婦の座に収まったが、結婚後もバレーボールに
関わりたかった。これは他のチームメイトも同じだった。淡島
千景さんはその意志を汲んで「富士クラブ」を発足させてくれ
た。週に一日、土曜日に練習、日曜試合というスケジュールだ
った。
半田さんは「主人が在宅なら練習を休んでもいい?」といえば
河西昌枝さんは「あたりまえよ」と理解してくれた。松岡さんも
それには異論はなかった。ただ帰りは遅い夫、出張が多い、また
家事は苦手な妻、だが二人は耐えて生活を守ったが、そのバラン
スもいつしか崩れてきた。
1965年秋ごろ、半田さんは富士クラブのマネージャーの垣内た
づさんに「どうしたらいいかしら」と悩みを打ち明けた。
「これで離婚したら、やっぱりバレーボールに入れ込んだ女は
ダメだといわれてしまう。これから結婚する仲間にも悪影響があ
るから」と半田さんを諭した。
週末の練習になると生き生きした表情で千景さんのイ家にやっ
てくる半田さんを見て、垣内さんは不安に感じたという。半田さ
んがぽつりと「主人がお給料をくれないのよ」と、垣内さんは
半田さんは早い時期から離婚を決心していたのでは、と振り返る。
半田さんへの取材、1966年2月
離婚の決意はいつ頃されました?
「昨年(1965年)6月頃です。でもそれからも、いろ色話し合っ
て、結論を出したのが昨年暮れです。協議離婚の書類を造ったのは
今年初めです」
理由は?
「いろいろあります、最初に私が結婚に甘い期待を抱いていた、と
いうことでしょうね。結婚に憧れていたんです。よく相手も考えず。
お互いに切実に必要となってこそ、結婚すべきなのに、その条件が
なかった。出発から間違ってました」
他には?
「主人は松下の営業のある部門の主任で、まずまずの地位にあり
ます。で憧れていたと思います。これなら経済的にも大丈夫だと。
甘えでしたね。それから(と言いにくそうに)
実は結婚後、ふとしたことで判明したんですが、結婚前、松岡に
女性でのちょっと大きなミスがありました。世間ではありがちでも
、え?その内容?ご想像に任せますが、潔癖な私にはそれがどうし
ても許せなかったんです・もう婚約を破棄しようかとも思いました。
でもその一方でそういう過ちがあったなら、私でその埋め合わせを
してくれるのでは、と思って、現に結婚を熱心に望んでくれている
のですから。主人の愛情への期待が大きかったのです。甘えていい、
主人が償ってくれる、・・・・・でも結婚して私の考えは矛盾して
いたとわかりました」
離婚以外、解決法はなかったんですか?
「そのとおりです。できれば結婚は一生に一度でありたい、と
何度も思いましたが、やはり新しく出直す以外にないと悟りまし
た」
「主人にも言い分は有ると思います。結婚式で感激した?と聞か
れて、金メダルのほうが感激した、と平気でいう私ですから。もう
頭はバレーボールばかり、話題も、チームメイトとか、それ以外に
思いつくこともなくて、結婚するとき、主人は『僕はバレーボール
の半田ではなく、一人の女性の半田と結婚するんだ』と、私はそれ
が嬉しかった、でもそれは思い上がりでした、私からバレーボール
を取ったら何も残らないのですから。もうゼロなんです。ゼロの女
と結婚してくれる人がいるでしょうか、嬉しい言葉に有頂天になっ
た私が浅はか、バカだったんです。いろいろ学びました、結婚は
憧れるものじゃない、と。あわてて結婚してはいけないことです」
永すぎた春も結婚した途端、よくある話かもしれないが、・・・
・・・・。だが、亭主が妻に給料を渡さない、というケチンボ根性
だとすれば、現実、お金は背に腹は代えられない、お金は離婚の実
は最大の原因になる、とは私の確信だが婚前不祥事以上にお金が離
婚の原因になった可能性はあるだろう。
この記事へのコメント