吉行淳之介『浅い夢』1970,「い、ろ、は・・・」すべての章を揃えた趣向を凝らした作品


 誠にもって趣向を凝らした作品である。1970年当時、吉行
さんはこういう作品を書いていたとは、と今さらながら。「
いの章」、「ろの章」という感じで「い、ろ、は」四十八文
字をそれぞれの章に戴くということで話が展開する。

 小説家の牧村英太は、雑誌社から現代版いろはがるたを依
頼された。その牧村家に、友人の息子の矢田鉄也が上京して
きて居候する。偶然にも、その鉄也が「いろはがるた」を依
頼した雑誌社に就職することになった。長編の初めの部分は
、小説家牧村の家庭の様子や、友人らとテーブルを囲んでの
麻雀をやるという話が、とりとめなく面白おかしく語られる。

 いたってさりげない叙述の部分、語りがもっとも妙味があ
る。軽妙でいいて説得力がある。まったく吉行淳之介という
作家の気取らない才能を感じさせる。

 だが途中から、女性週刊誌を担当の鉄也に主人公的立場が
移動する。いかにも先端を行く現代的風俗が純情歌手の醜聞
の取材を絡めて進んでいく。1970年当時は日本の歴史上、最
も高度成長で日本が活発だった時代であるが、その当時の雰
囲気をよく表している。ともかくも有名歌手の私生活をいか
に暴くかという具合で読者の興味をつないでいく。

 その中で奇怪なルポライターの葉折という変な名前の人物
が跳梁し始める。現代の英雄というべきか、そのベテランの
ルポライターは歌手のスキャンダルを全く別の方向に歪曲
し、裏腹な記事に仕立て上げる。その葉折が鉄也の高校時代
からの交際相手の山口七重をさらって雲隠れする。その七重
の動向を追ってのスリラーが今度は展開し始める。意外な展
開の挙げ句に葉折の招待が徐々に解明されていく。

 葉折は七重を自分好みの女に仕立て上げようと苦心してい
た。ここらは谷崎潤一郎の『痴人の愛』のシチュエーション
に似ているが、結果も同じように墓穴をほってしまうことに
なる。

 とまあ、吉行の軽妙なる才能は大したものだが、どうもそれ
ゆえの限界も見えてしまう。おもしろ展開は続くが、何か究明
されない。長編としての首尾一貫は乏しいがそれは作品の個性
だろう。「浅い夢」みな浅い夢に浸っている、挙げ句の苦渋と
いうことか、浅い夢から覚めて唖然失望、という悲しさ漂う。


 1973年8月、第一回「噂」賞受賞式パーティー会場で

 吉行淳之介氏

  
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