加藤周一『言葉と戦争』戦後最大の激動の1968年の世界についての論考
たしかに1968年は戦後世界の最も激動の年であった、日本
の超高度成長はその絶頂に近づきつつ合ったが、世界の情勢
もまたあらゆる意味での混迷だったと思う。国内では大学紛
争の胎動が顕著だった。
で、同じようなタイトルの本が二人の新たな著者を加えて
その後出ている。そえrは加藤周一論文集でこの1969年初頭
の本とつなっがるものだが、純粋な加藤周一による著書とし
はこちらである。
パリの5月、東京から加藤はパリを見ている。チェコの8
月、オーストリアからチェコを見る、11月、加藤は北米の太
平洋岸にいて、そこから中国の文化大革命を見る。まことに
国際的な人である。
ある一点から世界を見渡すことも不可能ではないだろうが、
それには限界がある。1965年以降のヴェトナムのように、世
界の注視を浴びる場所なのだろう。誰もがその場所に立てる
わけでもない。当事者だけである。第三者はそれぞれの立場
と位置を確認しつつ、世界を見る。
で、そこで可能なことは世界の解釈である。加藤があとがき
で「68年の解釈」とことわっているのは、そのためだろう。加
藤はそのために、わざわざ位置を移動させていたのだ。そのた
びに「何処から見ているのか」記しているのだ。まず普通の日
本人は極東の一点からしか見ることはない。この「移動してみ
る」という加藤のやり方は、やりよるわい、とは思える。自分
の視点による結んだ対象を本書の論文で多くの点を修正し、不
明確だった点をあきらかにした。
で、1968年のパリの五月のことを「革命』とは呼ばず、その
可能性をはらむ「情勢」という認識も、状況判断のために加藤
が行う方法論である。それ以上にヒッピーの分析から、先進国
における学生運動に言及する加藤の姿勢は鋭さを秘めていると
いうしかない。
「圧倒的でいて実は無力な戦車と、無力なようで圧倒的な
言葉」はそのまま、この本のタイトルになっている。だが1968
年8月22日のプラウダの論説を挙げて、、そのチェコ批判が「
反革命敵」言論活動に向けられていることに加藤は注意してい
る。この時期のチェコの民衆は「言葉」の中に、可能性と危険
性を包含する混沌した状態にあったことも見逃していない。ハバ
ナとハノイのソ連支持はソ連からの援助に頼るという現実を考え
て注意深く分析している。
米国再訪で述べられる、60年代のアメリカ、黒人運動を「黒人
が米国社会の最低の層からではなく、下から二番目の層という地
位に達したからこそ、にわかに活発になった」という。では米国
社会の最低層とはなにか、黄色人種ということだろうか。
中国の文革は「国際的な状況の問題である」今から考えればそ
れは、あまり妥当な考えでなさそうだが、当時としてそう考える
のは自然であったことは間違いない。
でも、改めて読んで加藤周一の論文は、「小難しい」と感じる。
まことの理屈屋である。
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