城山三郎『望郷のとき』1969,手作り一品料理で資料、材料は不十分だが、メキシコにおける慶長遣欧使節異聞


 history_img_01-4.jpgメキシコの日系人の間にこういう噂があるという、非常に
好戦的で勇猛果敢、白人が近づくとこれを威嚇し、ときに殺
し、今でも近代文明と断絶して立て籠もるような一部族がい
ると、慶長遣欧使節の渡欧はメキシコ経由でなされたが、多
く侍を帯同し、メキシコにそのまま残った侍たちがいたという
のは歴史的事実による噂であるが。

 歴史的には著名な出来事であり、遠藤周作の「侍」はそれを
題材とした比較的近年の作品である。

 支倉常長の一行は渡欧において東経由、メキシコを経由した
が100人以上の武士が随行していた。仙台で建造した黒船「陸奥
丸」で伊達政宗の派遣した慶長遣欧使節の支倉常長の一行、メ
キシコを経由したがその旅程は散々なもので、メキシコでも不
幸の連続だった。随行した武士たちの中には現地に残り、生活し、
そこで生涯を終えた者もいたはずである。帰国はあきらめた。
・・・・・という仮説である。城山三郎はこの話にいたく感動し、
この作品を仕上げた。

 実は内容に二部構成で第一部がその小説である。常長の一行に
帯同した徒士組に所属の下級武士がその主人公である。天下も平
定され、徒士組も存在意義は乏しい。だから外国に行って、新た
な砲術、航海術などを習得し、変えれば出世の緒にも成るのでは、
と思ったが家庭を捨ててまでは迷いである。出帆後、90日の退屈
な船旅、夢遊病者的な自殺者も出た。

 メキシコに着いてみたら、待っていたのは失望ばかり。ローマ
に行ける人数を常長が制限したので、メキシコには相当数の武士
が残されてしまった。待てども戻らぬ、常長。悪化するばかりの
情勢だ、陸奥丸は抑留され、日本国内は厳しいキリシタン禁制に、
もはや帰国もおぼつかない。

 メキシコの明るすぎる太陽のもと、希望もない日々、灰色の日々
の連続。ある武士はメキシコ女性と同棲、元漁師野武士はその技術
で柔軟に異国人に溶け込む、だが武士に使い道はない。刀剣は取り
上げられている。棒切れを振り回し、狂人扱いされる仲間、こうし
他ある意味、島ではないが島流し抑留的な残された武士たちのメキ
シコでの生活、侍inメキシコを描いている、・・・・・のだが。

 で第二部がある、これは執筆に当たっての取材に奔走したという
苦労話、さしたる成果はなかった、という悔恨である。

 慶長遣欧使節についての小説では、忘れ去られているが実は今
東光の『はぜくら』が最大の力作である。多くのキリシタン研究学
者が執筆に協力して出来上がったもので、驚異の資料の豊富さであ
る。1961年刊行だが古書でわずかに見るのみである。詳細さ、研究
性という点でこれにまさる支倉常長関連の文学はないだろう。

 城山三郎の『望郷のとき』が発表時点で比較されたのは『はぜく
ら』だが専門研究者にかなうはずはない。今東光の作品が豪勢なフ
ルコースなら城山作品は和食一品料理、悪くすれば精進料理になり
かねないほど資料不足、材料不足である。周辺情報は特に寂しい。
だが作者の誠実さ、熱意は伝わる、だから淡泊でも読後感は悪くな
いだろう。不満は残るかもしれない。

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