行政、メディアのEV推進のミスリードがあまりにひどい、このままでは大変な事態になる

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 端的にいうならばメディア、もちろん行政、国際機関、
国家が大きく関与していることだが、極端なEV礼賛、推進、
擁護の、はっきいえばこのままでは大変な事態を招くミス
リードが蔓延横行している。あたかも絶対的な真実にして、
もはや動かしがたい既成事実だ、と言わんばかりの日々の
メディアの報道である。たしかに市街地の大気汚染改善に
は無論、有効である。逆に言うならば、メリットはそれに
尽きると言っていい。クルマ本来の用途にEVを利用は全く
不可能に近い、だがCO2憎悪のグレタ教流の地球温暖化論
と一体化しているので、いくらその非現実性を指摘しても
、「地球が温暖化で人が住めなくなったらどうする」と来
られて現実的な議論が停止してしまうのである。メディアが
そうだから、それに寄生する自動車評論家の類も例外を除け
ば、メディアのプロパガンダに完全に翼賛し他記事を連発し
ている。

 純電気自動車はエンジン搭載で発電し、その電力でモータ
ーを動かす車とも全く異なり、要は超重量の電池に電気を蓄
えて超重量物を持って走る、という運命にある。電車のよう
に架線から電気を受け取ってモーターを駆動する、わけでな
く、エンジン駆動もエアコンもとう照明類すべて、またワイ
パーやパワーウィンドウのモーターなど駆動以外に要する
莫大な電気も搭載の電池からの電気で賄うしかない。これ
はその車の用途を極度に限定する。同時に充電時間である。

 航続距離は短くていい、とかりに割り切っても、例えば
である、こういう場合

 よくある当然のシュチュエーション、例えば一日昼走って
電池が減って夜に充電開始、だが急用である程度離れた場所
に出かけねばならない、充電時間は長い、駆動以外にもエア
婚、照明、またワイパーなどのモーターも動かす電気が必要
なのである。何時間もやらないと、ちょっと中距離へ夜中に
急用も不可能である。

 したがって極端な例では緊急車両には絶対不可能だが、そ
もそも一般的な用途の車には不適ということである。生命の
危険すら招きかねない。寒冷地、豪雪地帯では死と隣合わせ
という状況が日常化する。

 航続距離と充電時間、搭載電池の重量とコスト、

 これが基本的な制約要因である。

 航続距離ではもし50Lのガソリンタンクの車、まず航続距離は
600km以上は余裕で確保できる。他方でEVの搭載電池のエネルギ
ー密度、その重量を考えたエネルギー密度は非常に低く、600km
の航続距離を確保しようとしたら、電池重量は最低でも550kg以
上、またコストも高く大容量電池では300万円を超えてしまうだろ
う。

 また充電、チャージの比較では600kmの航続距離を確保のための
充電はまず10時間以上かかるがガソリン満タンなら50Lでも数分以内
で可能であるし、3分でも可能かもしれない。しかも搭載にまつわる
コストは限りなく安い。

 EVは「マブチモーターと乾電池の車の模型と同じだから部品も
少なく簡単だ」と考えるのは大間違いであり、現実の車として利用
となると莫大なコストがかかる。エンジンとモーターを入れ替えて
済むほど安易なものではない。あらゆる走行状況、条件に適合する
者でコスト、利用しやすさもパスしなければ意味はない。現実に
アメリカのEVメーカの車はおよそ、あり得ないようなトラブルを連発
しており、リコールもあまりに頻繁である。EVとは大都市部の大気汚
染改善には最高度に有意義だが、あまねく車として利用は全く不可能
な代物でこれほどユーザーにおおきな負担を強いるものはない。また
多少厳しい気候では電池切れは即、生命喪失の危機に直面する。過去
も未来もEVは極めて限定された用途、条件でのみ利用すべきである
という真理に変わりはない。

 車が移動するものであり、しかも電車のように線路を走るものでな
く電気の供給を外部からは受けられず、実用のものとして運用なら、
必ず内部で発電できるメカを備えないと全く実用性はない、だがEVは
内部での発電能力を欠区という致命的な欠陥を持ち、それゆえに、移
動物体であるのに、まるで超重量の電池を動かすために存在するとい
う矛盾した性格が実用的な移動工業製品として致命的なのだ。EV礼賛
、既定事実でございます派は公道を走行の車におけるトラックの比率
の高さに答えねばならない、10トンの、ある程度の長距離トラックな
ら10トン以上の重さの電池を搭載しなければならない。これでは何を
運んでいるのか、しかも超巨大電池の充電は莫大な電力と何日も時間
がかかる、トラック問題に答えないEV礼賛は虚妄以前だろう。なら
水素の燃料電池とくる、そうなると社会的な整合性がなくなる。ここ
に燃料電池車が一台あります、と社会に燃料電池車が広まることは、
全く別の話である。

 エンジンや変速装置などが不要にはなるが、一定の航続距離、他に
照明、空調、ワイパーモーター、カーナビなどの電気を供給の超重量
物の電池が必要で、これを持って動かねばならない。さらにEV特有の
メカが数多く必要となり、トータルではエンジン車より重くなるはず
である。さらにPHEVと比べた場合、同じ充電量(充電時間)で得られ
る航続距離はまず20%以下でしかない。しかもトータルのコストはPH
EVと同程度か多少、上である。

 現在、「中国や欧州でEVが売れている、日本でも」というのは掟
破りというほどのEV購入補助金があるからである。

 また充電時間を考えればEVが大多数という、社会状況はありえない
と考える。ただEVゴリ押しの現実無視の行政決定のみが先行しており、
それに阿諛追従のメディアはグレタ教のプロパガンダの翼賛勢力という
ことが現実無視でも構わないという暴論を生んでいる。現実にグレタ教
の本拠の欧州ではEVは300kmも航続距離があれば十分というその教義に
盲従の意見さえ出ている。冷静に問題を指摘されたら、結局はグレタ
教を持ち出し、「温暖化をどうするんじゃい」とケツをまくる。

 グレタ信者はなぜだったら原子力自動車を提案しないのか、酸素、
大気は必要ないのだから、要は思考の出発点が間違っているのだから。
そこまで云うなら、である。

 充電時間、充電量の問題で社会的な「辻褄が合わない」事態にもなる。
行政も国際、国内機関もメディアもその技術的根拠、社会混乱を必ず広範
に招く危険へ解答一切示していない。このままでは大変な事態になる。

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