永六輔『街=父と子、おやじ永忠順との優雅な断絶』1969 実は優雅な父子相伝

六輔は、あっさり「そんあものは問題じゃない」と答えて、
さらに「父親の資格とは?」との質問に「我が子に理解され
ないことをイライラするのが一番親の資格がないことだ。何
かを諦めた時に、いいオヤジになれるかもしれない」
このインタビューが前書き代わりに巻頭にある。でその本の
内容は、永六輔とその父親、永忠順との往復書簡という形式で
ある。だが筆不精の子供と筆まめな父親とでは、往復書簡とい
いつつ、質量ともに父親の圧勝だろう。永六輔もそれは承知な
のだろう、我が父親の不思議な性格と愛情、人柄を、またその
語り口を世に伝えたかったのだろう。
浅草、生粋の江戸っ子である。さらに父親が寺の住職、この
オヤジは並ではない。なんとも得体の知れない不可解さ、奥深
さ、抱腹絶倒の内容だ。
だが面白いだけではない、愉快なだけでもない、全体として
ユーモアのある表現だが、鋭い文明批評があり、変わりゆく東京
の風俗への痛烈な批判がある。かっての東京の街への郷愁が漂う。
驚くべきはその記憶力の鮮明さ、詳細さである。それを伝える筆
力の高さである。「明治はるあき」、「浅草の祭り」などは単に
懐古趣味に溺れない、透き通るような抒情が、みずみずしく流れ、
優れた文章家でないとまず書けないものだ。
戦時中は永一家は信州に疎開し、父親が時々東京に戻っていた。
当時の戦時下の日記は記録として貴重である。また実に簡潔で的
確な筆致が戦争にひたすら追いまくられて、追い詰められてゆく
庶民の哀感を事細に伝えている。疎開先の信州の秋のように透き
通るような美しさだ。
サブタイトルにある「優雅な断絶」、断絶ではない、結果はすば
らし父子相伝であろう。
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