結局、この宇宙に何の意味もないという辿り着いた感慨


 b3ea765462345689f6539f75132db235.jpg人はまず人生の先を、未来を考えて生きているものだ。だ
が私がここまで生きてきて、人生の先を考えたらそれは死が
あるのみsだ、死は「無」とは云うが『無」というと「無」と
云うものが存在するような錯覚を持ってしまう。つまり「死」
とは「設定自体がなくなる」こと、人生を描くキャンバスが
消え去ることではない、一切が消え得てしまう、無、と云う
ものさえない、「設定がない」のは自分が発生前も同じ、宇
宙が「負の虚数時間」からとはいうが、「設定」自体がない
から過去の負の虚数時間も、10の100乗年後に素粒子も消え、
最後のブラックホールが蒸散して消えてしまうのも時間として
は変わる点はない。全ては無意味、ということになる。

 100年という時間は短い、小1の頃、100までの数えっこをや
ったものだが、あっという間だ。1年なんてまた短い、それが
100回と行って半分近い時間は寝ているわけである。その100年
すらまず現実生きられないのでる。そのやたら短い人生だが、
そこに短い時間に織り込まれる苦しみ、悩み、災難は計り知れ
ない。全く割に合わないと云いたくもなる。

 認識しえる生き物、存在が消えて宇宙が、では「存在する」と
果たしていえるだろうか、確かに誰かが死んでも別に宇宙は
関係なく存在している、と他に認識する存在があればの話である。
主観的宇宙論からいえば自分が消えれば宇宙は消える。自分=宇
宙、いやそれ以上である。だが最後に、宇宙で最後の認識し得る
宇宙を認識し得る存在が消えたら、・・・・・宇宙は存在するだ
ろうか、「そりゃ、存在する」と考えたくなるが、認識する存在
がない以上、宇宙があろうが、なかろうが、どうなろうが同じこ
とである。自分が消えたら宇宙も消える、さらにこの宇宙から、
他を認識し得る存在が消えたら、もう全ては無意味である。

 人生は大いなるペテンと云うべきか、不条理と云うべきか、さ
らに痛感するのは、この宇宙に何の意味もない、という思いが胸
をよぎるのである。人生の先、未来を人は考えるものだ。若い頃
は未来幻想があるから当然としても、現実に人生とは玉ねぎのよ
うなものである以上、剥いで行っても中心には何もない、それ
と変わらない。そのような認識する存在の幻影のような宇宙にも、
結局、いかなる意味はない、何百億年光年の大きさがあろうと、

 玉ねぎの中心に何もなく、宇宙も全く無意味なら人間は今とい
うときを自分なりに楽しむ以外に意味は無いことになる。今を逃
しては何もない、未来は幻想にも値しないのであるから。

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