高齢者講習の予約の全面オンライン化を国は責任を持って制度化すべき


 高齢者人口の激増、後期高齢者の著しい増加、対して国の
導入した運転免許更新制度の高齢者への極度の負担の過重化、
現実に「病理標本」1もなく定義も厳密ではない「認知症」
という「精神病名」で国民の権利をこれほど極端に制限する
のが妥当なのか、議院内閣制、小選挙区制のもとでは閣議決
定こそが「国権の最高機関」である。日本のような政治風土
日本の小選挙区制ではもはや永久政権で、閣議こそが窮極の
権力である。警察庁の法案はそのまま閣議了承、閣議決定さ
れてしまう。国民の意見はどこにも入る余地がない。そこか
らうまれた道交法の変更による「高齢者講習制度」だが、あ
まりに常軌を逸脱していると言わざるをえ得ない。優生保
護法廃止で優生的な統治手段をかなりの部分、失った国の
「優生政策回復」の大きな第一歩が『高齢者講習』であった
という見方も成り立つだろう。だた日本のメディアは行政の
暴走への批判を行うことはまず稀であり、それを逆にプロパ
ガンダ化して高齢者の運転=危険、だから、という世論操作
に徹してしまったのはいつもどおりであったが、冷静な指摘
は皆無に近かった。

 ともかく現実の高齢者講習はひどい、行政が視力検査ど
ころではない、精神病名による義務負担、権利制限をこれほ
ど思うままに振り回していいものか、メディアが阿諛追従の
性格があるからといって、あまりに現実の混乱から目を背け、
何ら改善策をこうじようとしない、国民は何のために選挙で
バカ騒ぎして代表を選んでいるのか?である。

 ともかく「認知症検査」は75歳以上から二日に渡るという、
複雑化に加え、さらに軽微な違反でも75歳以上の更新では「
技能検査」が義務化され、ますます高齢者講習の予約が困難
になっている。

 なら事態の改善に国は、というか国民の代表たちは行動を
起こすべきだが、行政絶対の現実の前に国民の声など無視し
ていいと考えているようだ。しかし、それでは済まないので
ある。

 「ハガキが来たらすぐ教習所に電話を入れて予約をとれ」
 
 しかし急激に増加の一途の高齢者数、教習所の電話受も
あまりの予約電話の殺到にノイローゼとなって電話を取らな
い、という事態も珍しくなくなっている。だからそれ以外に
電話が多すぎて、予約電話が通じない、通じにくい、そもそ
も教習所本来の業務を著しく阻害している。高齢者講習は教
習所からすれば、手間がかかるばかり、殺到の電話にノイロー
ゼとなる、本来の業務が回らなくなる、いくら「公認自動車
教習所」の資格を与えられているからといって、もう教習所
も限界、という悲鳴が聴こえてくるのである。
 


 これほど問題化し、国民も教習所も悲鳴を上げているという
現実に行政も国会、我らの代表たる議員のいる国会も全く何の
手も打とうとしない。職務怠慢で済まされる話ではない。

 神奈川県のようにオンラインで予約可能、という県もある。
これを日本全体に広げる以外にない。さらに高齢者講習も
合理化すべきだ。精神病名を振り回して権利制限、義務負担も
民主主義の枠をもはや越えているというしかない。従来から
交通違反点数制度、免取り講習、更新時の講習はあるのである。

 危険なドライバーは排除されてしかるべき、だが精神病名を
振り回すことは、その目的に叶うものでもなく、到底、合理
的なものではない。まして、予約がとれず国民の3割以上の
高齢者が困り果て、また教習所もノイローゼになるほど弱り
果てていて、国はそれを面白がって見ているだけ、にいかな
る民主主義的な要素もない。

 何ら適切な批判もメディアでなされず、メディアは国の翼賛
の道具をいいことに全く問題の解決を図ろうとしない国の怠慢、
意図的にせよ、厳しく批判されるべきである。最低限、予約の
オンライン化を全国化することは必須である。さらに内容の合
理化、も必要だ。高齢者が予約が取れず音を上げて免許返納し
てくれたらいい、というのでは、大半の地域は車無しで生活が
不可能な日本だ。国民を愚弄するにもほどがあるというものだ。

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