カルトというレッテルを貼って宗教攻撃、中傷を行う日本のメディアの危険性、全ての新宗教がターゲットになる


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 現在は「旧統一教会」攻撃だが、明治以来、日本の新聞雑誌、
現在の広くメディア一般だが特に新聞雑誌、その系列のネット
報道は連日、攻撃を批判を加えている。「だって悪いじゃあな
いか」というかもしれないが、明治からの日本の新聞報道を点
検すると、あまりに新参宗教への攻撃中傷が甚だしく、何か
一旦攻撃材料が発生すると、もう狂ったような攻撃を加える。
戦前の大本教はその典型で今の毎日な警察の大本関係者逮捕の
翌日は「邪教、大本についに鉄槌」、その後は「不敬の事実、
続々判明」と警察の別働隊以上の大本攻撃であった。といっ
て戦前は国家神道体制に反すると当局が思えば、片っ端から
あらゆる宗教が弾圧された。その都度、日本の新聞雑誌は
激しい「邪教攻撃」で弾圧を正当化した。現在のPL教団は
戦前、「ひとのみち」教団でその教義はもっとも、国家神道
にすり寄ったものであり、教義に教育勅語をも組み入れてい
たほどだったが、要はいくら国家神道にすり寄ろうと、国家
神道それ自体でない、新興の宗教団体の巨大化は許さない、
という考えのもと、教祖周辺の私行に因縁をつけて逮捕監禁、
宗教弾圧を行って叩き潰した。いかなる場合も日本の新聞雑誌
は宗教、特に新参宗教弾圧には激しく賛同し、自ら攻撃を行っ
た。これが伝統化したのは紛れもない事実だ。

 日本のマスコミ史、メディア史を考える歳、「新参者の宗教
団体」への寄ってたかっての、一社限定の場合もあるが、激し
し誹謗中傷攻撃は完全に日本メディアのDNA化しているのは否
めない。

 大本以外、あらゆる宗教が、国家神道そのもの以外は弾圧さ
れた戦前だったが、戦後のメディアはその流れを継いでいる。
さらに大本教を述べた戦後の本を読んでも大本教が本当に政治
的に危険な存在であったかのような誤りを書いている本が多い
のに驚く。大本は皇道大本と称していた、これを偽装とみなす、
のは戦前の特高のみ成らず戦後も一部の歴史家に見られる、だ
が大本を弾圧し、叩き潰した治安警察体制、その国家の軍国化
の行き先が無謀では済まない、大戦争であり、恐るべき犠牲を
内外に生んだわくぇである。真の皇道というものを理解しない
ファシストたちが国を潰したのである。

 戦後も宗教叩きは日本のマスコミ、メディアの本質となって
いるのは否めない。読売新聞が立正佼成会攻撃を行ったのは
一社だけだったが、何か超零細な団体でも宗教と名が付けば、
ライオンでもねずみを全力で攻撃という風情で日本の新聞な
ドは中傷攻撃を行った、「イエスの方舟」の逐一報道、また
オウム真理教だが、オウムをもって「そら、新参の宗教は
危険じゃないか」とDNAにさらに活力を与えたのは事実であ
る。あのような多数死刑執行へ疑問を表すメディアもほぼな
かった。

 出口王仁三郎に政治的な野心があったかのような、あきらか
な捏造記事がまかり通っているのはまさに遺憾というしかない
が、これは現在も他の事例にも容易に使われて、捏造し、攻撃
中傷というパターンは止まらない。しかも「カルト」という便
利な言葉を覚えてしまい、「カルト宗教」というレッテルを貼り
さえすれば、いくらでも中傷攻撃できる、と思いこんでいるのは
紛れもない事実である。

 私のように大学時代が原理の学生と対立し、乱闘したものでも、
現在のメディアの姿勢には到底賛同できない。宗教は自由である。
宗教自体にカルトとレッテルを貼って攻撃できるなら、すべての既
成宗教全て同じである。宗教攻撃をしたいのだから、要はマルクス
の「宗教はアヘンだ、撲滅すべき」という思想と変わる点はない。

 現状の、例えば日テレの連日に宗教攻撃、はあ、またネットの
メインニュースでも「カルト」というレッテルをはることを当然と
考える姿勢は危険というほかはない。

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