私はなぜ涙を流さないのか?二十歳までのあまりの散々な家庭


 人によっては私という人間がとにかく泣かない、いかな不遇、
不幸に襲われても全く絶望しない、まして涙を流さないことに
疑問を持つ人がいる。私のように生きたら、誰だってワンワン
泣いてもいいはずだが、いたって何食わぬ顔で生きてきた。無
論、容易な道ではない、母親はとにかく私を憎んだ、生まれて
すぐから死ぬ少し前まで、とにかくイジメとか毒親というレベル
ではない、何度、「殺してやる」、「死ね」、「罪にならなきゃ
殺す」などと言われたかわ分からない。父親というのは単にロク
でなし、子供にも愛情の欠片もない、というレベルではなく、は
て、何と表現すべきだろうか、端的に言えば人間の面をした畜生
以下だった。こう書くと一体全体、どんな親かと訝られるだろう
が通常の「人間」ではなかった、人間以外のなにかだったような
気がする。母の「殺す」は一度たりとも冗談で云ったことはない
だろう。間違いなく本当に「殺したい」と思っていたが罪に問わ
れて刑務所入りが嫌だから殺さなかっただけだろう。93歳にも
なてt,私は衆に一度、遠路を食品やなにやら持っていき、世話を
していたのに、最後の最後で、再び本音が出たわけである。それは
即、ははの悲惨な最後の生活に繋がった。

 ともかく人生の早い段階で、私にはもう諦めがあった。小学校
時代、中学、高校までですっかり諦めの気持ちであった。『殺す」
というくらいだから子供へのプラスの意味での配慮は皆無である。
屈辱、汚辱は二十歳までで天文学的、もう諦めるしかなかった。
それ以後の不幸の二十歳までの不幸が展開しただけのことで、
どなん不幸に見舞われ、不幸な境遇になっても辛くて泣くなんて
なかった。両親が死んでも涙一滴でなかった。
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 可愛がっていた白いジャンガリアンハムスターが2年きっかり
に死んだ時は一週間以上、泣けて泣けて仕方がなかった。また
両親に捨てられ、殺されたかわいそうな子猫たちを思い出すと
泣けて泣けて仕方がない。ある時、私が高1のだったか、飼い猫
が数匹、子猫を生んだ、私はかわいがっていたが、母は突然、い
つもどおりだが、捨ててこい、と亭主に命じた。農家相手の商売
だからちょいと置いてくれないい、くらだろう。鶴橋という橋から
、川まで高い、子猫をあのオヤジは捨てようと軽トラからだしたら
車の下に潜ってしまった。ではとスタートしたが子猫を轢いてしま
った、鼻先を惹かれで出血、苦しくでバタバタする子猫、それを
救おうともせず、捕まえて高い橋の上から子猫をオヤジは投げ捨て
た、帰ってきて「くるくる回りながら落ちていった」とさも、さも
でなく本当に面白そうにオヤジは母に話して「母:モテを売って
笑っていた。人間の顔はしていても鬼畜以下だった。ふたりとも
その死に様は最悪最低だった、神があのようなものを許すはずは
ない。そのような子猫を思いだすと、私はその霊、やすかれ、と
祈る、「あのふたりとも死んだよ、惨めな死を遂げた」と無惨に
死んだ子猫たちに報告した。それにしてもあの子猫、親や兄弟か
た離されてどれだけ心細く、怖かったろう。

 それにしても、これもあの二人の日々の悪行のほんの一例、
まさに一事が万事であった。

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 とにかく、あんなひどい親、家庭で育って、もう絶望、すべて
を諦めてしまっていた私である。だからそれ以後、二十歳以後何
が起きても、私の不幸など私は平気で受け止めるのみである。あの
悲惨な子猫たちを思えばどうどいうこともない。

 だから、・・・・私の不幸には涙なんか出ないのである。地獄の
家庭だったから、その後の不幸は当然、何があろうが受け流す、と
いううことになっているのである。

 しかしハムスター、子猫、さらに初に母に捨てられた親猫を思
うと辛くて泣ける。私などどうでもいいが。

 あの鬼畜に惨殺された子猫らの冥福を祈ってこれからも生きて
いきたい。私?なすに任せるのみ。涙は流さない、私のことでは。

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