佐木隆三『大将とわたし』1968,「蜂の巣城城主」の痛快譚だが
「先祖の土地、墓を守れ」とその昔、熊本県でダム建設に
反対し、徹底抗戦した人物の、つまり「蜂の巣城事件」のパロ
ディーというべきだろう。この作品を発表した時点ではまだ、
代執行はなされていなかったにせよ、勝負の帰趨はあきらかで
あった。
九州、熊本県の一人の山林所有者がダム建設反対に立ち上が
り、山林を城塞を築き、籠城、政府相手に最後まで戦い抜いた
ということで、当時は大いに話題をまいたものだ。もう知らな
い世代が圧倒的だが。
『大将とわたし』は、このいたって現代離れした落城物語を
、山林地主・大将の使用人たる「わたし」の視点で描いたもの
だ。実は傑作だと思う。面白い。この山林地主は、相手を手玉
に取った講談本の英雄、真田幸村にも通じるものがある。世の
不正を正すためとしての、サンチョ・パンザを手下に各地を遍
歴のドン・キホーテにも通じるものがある。
安保騒動で日本が騒然としていた時代、ダム反対闘争に敢然
と立ち上がった蜂の巣城の城主、山林地主の大将は追い回す報
道陣もほぼ1967年ころには消えていた。「国家権力に体を張っ
て戦った昭和の田中正造が私だ」といっても、田中正造のこと
など殆ど知らない新聞記者がもはや一人会見するのみ。大将から
日給1500円をもらう「わたし」の仕事は毎日、砦に、国旗を掲
げること、ただし日の丸とは逆で赤地に白い丸である。
大将は資産4億円、当時としてはすごい、山林地主で村議会の
議員も務めた村の名士である。典型的な肥後もっこす、というべ
きか。「死線をくぐる同志」たる「使用人」の「わたし」とは
四国からの流れ者で、復員して椎茸林で働いていた女と結婚。
大将と「土方の親分」と大将が呼ぶ建設省とのバトルは、まず
夏の陣、三百名が立てこもる砦から落伍する者も多く、「わたし」
のかっての雇い主の「町田氏」も脱落、二度目の夏の陣、かって
全国から集った革新系同志もいなくなった。さらに大将の娘がダ
ンプカーの運転手とねんごろになった。政府もそろそろ代執行に
とりかかりそうだ。もうあの旗も降ろされる日が近い。
実際の事件をパロディー化した佐木隆三のこれは傑作だ。この
大将の堂々たる騎士道精神には感服せざるをえない。
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