水上勉『坊の岬物語』1965,切々たる父性愛の哀愁
『坊の岬物語』の後に、ついに総合的自伝作品という、これ
と同趣の『凍てる庭』という作品を「サンデー毎日」に連載、
単行本化された。だから『凍てる庭』を読めば『坊の岬物語』
は読まなくていい、かというと、そこがそうとも言えない。
やはり独自の価値を持っているからだ。水上勉には身障の子供
がいると知っていたが、その事情、それらを含めた網羅的な事
情は『凍てる庭』に「わがこに事情を教えるため」という執筆
動機で読者も知ることが出来る。
単行本としては河出書房新社から1965年9月に刊行された『
坊の岬物語』タイトルだけに聞いたら戦艦大和水上特攻の「坊
ノ岬沖海戦』にまつわる作品かなと誤解しかねいが、もちろん
違う。これは水上勉が九州枕崎在住の愛読者との手紙による交
流という体裁を取っている。その中で作者が生まれつき不幸な
我が子に寄せる愛情を、切々と静かに、それゆえに極めて哀切
を漂わせて語っている物語なのである。
「私」がある雑誌に『蜘蛛飼い記』という、幼い頃、祖母に
背負われて女郎蜘蛛を取りに行き、それを飼って楽しんだとい
う思い出を書いた小説を発表したとき、枕崎の久須美芳という
男性から、やはり蜘蛛への愛情を語った手紙をもらった。その
手紙には「蜘蛛の足ばいくら若い時に折れても千切りにしてし
もうても、若いうちならまた新しか足が生えてくるのは羨まし
い限りであります」という文があったが、「私」の意識にどう
も引っかかる。
「私」が脊椎破裂で歩行困難の三歳の女児をかかえていた。
もしや、この手紙の主も脚を病んで、その苦しみを蜘蛛への
愛情に向けているのではないか、とも思った。その思いが
予定外の返事を作者にかかせ、以後は主に蜘蛛の生態について
のやり取りが続いた。しかし、ある時を境にして手紙のやり取
りは途絶えた。
別府に脚の不自由な子供の療養施設があると聞き、そこへ母
親を同伴させて子供を送り込んだ「私」は、子供を訪ねたつい
でで枕崎の男性を訪問する気になった。だが、一人、留守を守
っている祖母によると、美芳は、やはり脊椎破裂で脚が不自由
な青年であり、ある日、坊ノ岬に蜘蛛を取りに行って頭って崖
から転落して死んだというのである。
この作品以前でも『奇形』という現在では問題化しそうな題名
の作品を我が子の病気に絡めて発表したことがある。その作品は
、もう切羽詰まった、という父親の苦悶に満ちていたあ、この『
坊の岬っ物語』では静かに沈潜の様子が伺われる。独自の怪奇な
暗く哀切に満ちた雰囲気に包まれた作品である。実話とはお思う
が枕崎のその若者のイメージが深く残る作品だ。
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