邦光史郎『幻の法隆寺」1977,歴史上の疑問絡みの推理小説、古代歴史推理小説を楽しんで書いている
戦後早くに京都で五味康祐と同人誌を出したくらいで邦光
史郎という作家は関西、というか京都、奈良に縁があるよう
でそれらにテーマを取った作品が多い。しかも歴史にテーマ
を取った作品が、となると『幻の法隆寺』もそうである。書
くのは苦労であろうと、書きやすく楽しんで書ける、といっ
てそれなりに評価を得ようとすれば容易ではない。で、京都
、奈良というか特に奈良に最も題材を取った歴史推理小説が
これである。
京都府宇治市の南東にある山間の少盆地に土地のいわば素封
家が戦前に本物そっくりの法隆寺を建てていた、無論、にせで
あるが。ここからこの小説は始まっている。
次の代の当主は新法隆寺の東隣りの自宅で焼死、それを継い
だ現在の当主「イカルガ観光」社長は先祖供養のために消失し
た邸宅跡に新たに夢殿を建てる。
この新法隆寺、新夢殿を観光の目玉にしようとしたイカルガ
観光は関係の有りそうな歴史学者や新聞記者、歴史評論家など
を招待する。事件はこの見学招待の最中に起こった、それがキ
ッカケというのかどうか、殺人事件が次々に起こる。連続殺人
は推理小説のいわばメインストリートなのだろうか、
その謎を解くのが、結果的に事件に巻きこまれた歴史評論家
の神原東洋、実は邦光史郎は古代史推理小説を書き続けてこれ
で六作目だろうか。
邦光史郎の古代史推理小説は基本はそ素人探偵にして歴史評
論家の謎を解くが、単に殺人事件の解明が作品の本意ではなく、
古代史の謎こそがメインテーマである、というべきで、これを
作者は縦横無尽に楽しんでいる。論文なら文句や批判を受ける
が、これなら何を書こうとも自由だ。だからこの『幻の法隆寺』
はまさに本物の法隆寺の謎の解明にある、わけである。古代史
の謎は数多い、最たるものは邪馬台国、卑弥呼だが、法隆寺へ
の関心はどうだろうか。つまるところ当面の事件の謎解きと、
深層にある古代史の謎の解明が巧みに照合し合う、交互に展開
する、それは安易だ、という見方も可能だが、ここは作家のま
さに腕の見せ所、ということだろう。
だから当面の事件などより作者の真の関心は実在の法隆寺の
謎解きでああることは確かである。だいたい本物そっくりの
新法隆寺建設という荒唐無稽な設定の上で、真の関心事の古代
の謎解きを作者はやている、楽しんでいる。
古代史への関心、謎解きこそが作者、邦光史郎の意図である
から、その謎解きは真骨頂だ。
聖徳太子が飛鳥を去って斑鳩に移った理由は蘇我氏との権力闘
争いに敗れたからではなく、斑鳩宮で対隋の外交を展開する最高
権力者の天皇になったからだとか、聖徳太子の子、山背大兄一族
と、さらに蘇我氏一族を滅亡させたのは女帝の皇極、即位しての
斉明天皇であり、もと百済の王女だった皇極女帝が、新羅と友好
的な聖徳太子の上宮家を滅ぼし、重祚後は大軍を送って新羅・唐
連合軍と戦ったとか、白村江の敗北後、新羅・唐のいわば占領軍
が日本に来て、日本の新羅系が優位に立った、壬申の乱も新羅に
友好の天武天皇の勝利だったのではないか、とか、
古代史の謎とか、古代史は人気なのだが、内藤湖南が「日本の
歴史は応仁の乱以後だけで研究したら十分、それ以前は無意味」
というのも分かる気がする。
とにもかくにも殺人事件はどうでもいい、古代史の謎解明こそ
が目的、は分かる。素人探偵の「ぼくの想像による私見であり
、学問的に無価値な、ただの読み物・・・・」と自認はしている。
それが楽しい、そりゃ楽しんで書いたはずだ。
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