邦光史郎『楠木正成(青雲編)、(風雲編)』1967,謎の武将、どうあがいても分からないもの分からない

れ以前の研究など無意味」と言い放った。つまり、「分から
ない」からそもそも学問研究にもならない、というのである。
といって現実に歴史は連綿と存在してきたのだが、残る定説
的な歴史は権力者の側の言い分である。真相は不明だ、そり
ゃ昨日のことの真相も分からないのだから、・・・・・。
そこで楠木正成、南北朝時代、南朝についての八面六臂
の活躍の武将というのだが、実態はどうだったのか。神戸
にある湊川神社、楠公様、そのまえに「菊水総本店」は閉
店してしまった。これは痛恨である。
ともかく非常に著名で実態不明の楠木正成を小説化した
邦光史郎だが、どうか。その出自は皆目わからない、明治以
下は明治天皇に就任した南朝の流れの大室寅之祐に意向もあ
り、徹底した南朝路線、南朝の武将は軍神、北朝についた
足利尊氏は「逆賊」の汚名を着せされた。明治天皇も、され
ど「私は南朝である」とは宣言できず、苦悶の晩年だった。
ともかく不明だらけの楠木正成を戦後、奈良本辰也、林屋辰
三郎などの研究者が古文書のさらなる解読を行って新しい視
点で楠木正成像を組み立てたが、・・・・・やあhり分から
ないものは分からない。
その分からない楠木正成だから小説となれば、もう作者の
思うままにかけて逆に好都合にも思える。書き下ろし長編、
上巻が「青雲編」下巻が「風雲編」である。数少ない在来の
研究と戦後の新たな研究をもとに、推理を働かせ、なかなか
見事ではある。例えば「悪党楠木氏」は数箇所の散所(賤民)
の長者を兼ねていたとか、河内の玉串が楠木領だったという古
古文書や、はたまた正成の姉妹が伊賀の服部氏に嫁して、その
子が能楽の創始者となった観阿弥らしいという新たな事実を踏
まえている。
古来大きな謎だった、河内の一土豪が、いかにして数万もの
鎌倉武士を相手に一年も籠城できたのか、戦い続けられたのか、
ということ、最大の疑問だろう。その秘密を、水陸の交通の要
点を占めて輸送の従事の散所の賤民の全面的な応援無くしては
不可能であったのでは、が戦後の定説だが、これも確定できる
ものではなく、分からないというしかない。
この野心作も、悪党河内入道楠木正遠が一族を引き連れて、
寄せ取りの片棒をかつぎ、領地を安泰にしようと図ったのが
思いがけない味方となって、張本人である当器氏に謀られて、
一族皆殺しの目に遭う。ただ一人、正成だけが長男で捕虜と
なり、生き証人にされそうになるのを、はからずも傀儡の一
行に助けられる、ところから物語が展開する。
まあ、大変な長編でもあり、単に想像力だけでも資料収集
だけでもどうにもならない困難がある。とにかく着想は斬新
であり、大胆にストーリーが組み立てられる。南北朝時代の
中世の世相も考証は十分行き届き、生活ぶりの描写がなにか
結果的に興味本意に流れてる印象も受ける。やはり面白くし
ないと、という意図だろう。男女関係もいたって常套的だろ
う。
でも場面、場面で正成の人間像が都合よく変化するのは、
いささか興を削ぐかもしれない。なにせ、正成なんて、「分か
らない人部」なのだから。不確かなイメージの集積である。
動乱期に土豪から蜂起した時代の英雄的武将のイメージはか
なり作品中で分裂的である。大河の流れを感じさせないのだ。
やはり楠木正成の小説化は無理難題か、と納得させる部分はあ
る。努力は大変な努力だろうが、冴えない結末である。
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